文章を書いていると自分のアホさに気づく。書いた文章を読み返すと恥ずかしい自分に気づく。日々、些細な事で心が揺れていたんだな。それは今日も変わらないのだけど…。

 

 

この日の母親との話は続く。

 

今の時代に青春を迎えていたら何をするか?という質問。この質問の本質は、結婚や子どもがいなかったら何をしていたか?が背景にある。実際、そんなに子どもが好きだった感じではなかったしね。

 

ただその時代の女の幸せは「結婚して家庭を持つこと」。その価値観が大多数で、母親もその価値観の中、当たり前のように結婚し、子どもを産んだそうだ。ただオレや妹を産んで育てたことに後悔は全く無いという。

 

まあ、そうだね。人生も終盤に差し掛かる中、今更そこを後悔するってことはレアケースだよな。けど、母親は本当は何か意義のある事を達成したかったのではないかと考えていた。それだけ才能のある人だ。

 

一つのことに向かって必要な物を集め、使いこなし、そして実現させるまで闘い抜ける。強い意志力を持った人だ。我が母親ながら感服した。それは受け継げなかったんだよなぁ。オレは飽きっぽくて、やり通すってよりも切り替える方が多いし…。

 

実際に聞いてみたところ、やはりそうだった。

 

母親いわく自分はなんでも出来たそうだ。過剰評価ではなく、そのままの自己評価なんだろう。科学系のことも得意だったし、営業もできて、計算は抜群に早かったらしい。それらは全く受け継げなかった(涙)

 

だから、周りの人が何故出来ないかが分からないことがあったという。それでも教え方は上手いと言われてたそうだ。人が理解できない理由は分からなかったが、解決方法を自ら見つけ出し、使いこなす能力があったようだ。そしてそのやり方を伝えたそうな。

 

数学の公式とかを自己流にアレンジするタイプなのかもな。銀行の窓口業務をやっていたそうだが、営業成績は常にトップ、金勘定もミスしたことがなかったそうだ。「他の窓口の子に絶対負けたくないから、どんどん営業したんよ」

 

オレが「それら全く受け継げてないんですが、オレは捨て子だったんですか?」と聞いたら、「あんたを生む前に2人流産してるのよ。だいたい才能っていうのは、最初の子たちに全部取られちゃうから、余り物があなたに行ったのね」

 

・・・出た。母親のブラック本心投下。悪気はないんだよ。率直なだけなの。

 

やはり、時代が違ったら仕事をもっとやっていたそうだ。仕事メッチャ好きだったってさ。ただわざわざ聞きはしなかったが、明確なことがあって、家庭に入った母親はわりかし幸せそうだったということ。

 

これは想像だが、母親の両親は、その時代の頑固をかき集めたような爺ちゃんと、母親のぶっ込む系感性を10倍にしたような婆ちゃんだ。この母親でさえ、家の中ではほとんど思い通りにならなかったんだと思う。元々そんなに自己主張するタイプでもなかったんだろう。

 

 

そんな中、結婚したのが超優男のオヤジ。おそらく最初は実家とのギャップに相当驚いたと思う。だって何やっても何の文句も言われないんだぜ?

 

爺ちゃんは訃報以外の用事で会社に電話したら恐ろしい剣幕で雷を落としたらしいけど、オヤジは会社帰りに醤油を買って来てという電話でもウェルカムだったらしい。

 

淡々とこのエピソードを語っていたけど母親の心中は伝わった。家の中で自由を得たんね。

 

だから、ここまでの人生に後悔はないらしい。それよりこの先だ。この超優男のオヤジと老後を楽しく送る。それをどうしても実現させたい。それが人生における最終計画だったんだろう。

 

だから何としても生き残りたい。そう考えていたはずだ。

 

母親は肝臓に通したステント(人工管)を取り替えるため、治療を受けている東京の病院に入院していた。

 

 

家族三人が毎日交代で病室に通った。病院へはバスを使う。最寄りの駅から病院の近くまで行く長距離バスが出ている。この日はオレが病院に行く。

 

バス停に着くといつもの5〜6倍の人が列を作ってバスを待っていた。この日は病院の近くで日本最大級のサブカルチャーの祭典がある。まあ毎年必ずニュースになるし、一番有名なやつって言えばだいたい分かるはず。

 

現地のバス停に着き、異様な活気を見せる群衆を掻き分けながら病院へ向かう。浮かれる人波に逆らい病院へ向かっていたけど、気分は悪くはない。家族に会いに行くのだから。

 

入院中の母親は、これまでにないほど穏やかだった。病院では自分の思い通りになることはほとんどない。だからこそ諦めが付き、テレビを見たり、音楽を聞いたりすることに集中できるのだろう。部屋の出入りが多くてゆっくり眠れないというのは不満そうだったが...。

 

自宅にいる時は人の動きや家事のことが気になってしかたがないらしい。常にイライラしていた。そんな穏やかな母親を見て、久しぶりにホッとした。

 

 

病室の窓から、赤・青・緑・オレンジ…日常生活ではほとんど見かけない髪色をした人たちが、写真撮影に勤しんでいるのを眺めた。よく晴れた日だ。窓外の夏の青空と地上の非日常が印象的だった。

 

その日は母親と病室で一日中過ごした。穏やかな母親と久しぶりに話せた気がする。母親の容体が芳しくないときに、ネット上に落ちていた「親を見送る前にしておきたいことリスト」をダウンロードしていた。

 

その中の2つを質問してみた。

 

一つはこれまで後悔をしたことがあるか?もう一つは今の時代に生まれたら何をしていたか?というもの。

 

母親に後悔があるとするなら潰してやろうと思っていたが、それができない後悔だった。後悔というか心に残っている失敗があるらしい…。

 

母親は当時、成績優秀だったそうだ。特に数学の先生とは仲が良く、進路相談の時には教師になることを勧められたそうだ。その時の母親の言葉が、「あたし、毎年同じこと繰り返すの嫌やねん。もっと新しいことやりたいねん」だったそうだ。

 

先生は明らかにがっくりした顔をしていたと。

 

気を許した相手には、状況を考えず思ったことをまっすぐ投下する母親の感性は、見事に妹に受け継がれている。そしてこの露骨な上昇志向はオレに受け継がれた。

 

10代の頃は現れなかったが、社会からの挑発や不条理を受け、反骨心から、20歳になるころ見事に目覚めた。

 

だけど母親も年月を経て、その時の教師の気持ちが痛いほど分かったらしい。それに仲の良かった先生だったみたいだしね。

 

それは・・・潰せない後悔だなぁ。