
空飛ぶ引きこもり小説家、千聖(ちさと)です。
最近・・・ようやくだけれども、立ち止まることを、覚えました・・・。
たとえば、
・この日までに~~をしないとやばい!と思うとき
・速く仕事をしないといけない!と思うとき
・量をこなさなければいけない!と思うとき
いままでだと、絶対にこうしないと、本当に問題だ、これができないから、自分はダメなんだ。
という感覚がどんどん増えていって、でも、それをやろうとすればするほど、うまくいかなくてから回ってしまう・・・
そしてまた自己嫌悪に・・・。
というような負のループでした。
でも、以前から竹川さんは、
そういう感覚が出たら、むしろ逆のことを話しはじめていたな、というのに気付いて
「もう十分頑張っている」
「やらなくていい」
「1年待ちです」
みたいな感じのことを言っていました。
だから、最近は、この感覚が出たら、一度立ち止まろう。
というようなことを、あえてやってみることにしていました。
以前の自分なら、もう絶対にそんな立ち止まるなんて、やばい!!
と焦り始めるし、
自分の価値だったり、存在意義や、あるいは未来さえも脅かされるような、そんな恐怖も出てきていて、どうしてもできなかった。
でも、ほんのすこしずつ、
そこまでの恐怖ではないけれども、
「ちょっとだけ、怖い」
というくらいのところに、あえて進んでみる、ということを繰り返してみました。
そうしたら、驚くべきことがわかった・・・
たとえば、わかりやすい例でいうと、記事を書くときに、ああああああどうしても言葉が出てこないーーー!!
というときがあって、
自分で決めている目標があるのに、全然そこに到達しない!!
ひいいいいいい
となって、それを無理やり書いていたときがあったけれども、
あえて考えるのをあきらめて、
しばらくぼけーっとしたり、ただ日常の日々のことを、静かに、淡々と繰り返す。
お風呂にゆっくりつかったり
ご飯をつくったり、
掃除をしたり
そういうことをやっていると・・・
ふと、
浮かんできてしまうのです・・・・。
あっ!?なにっっっ?!みたいな。
いろいろ放りだして、あわててメモに走ってしまいたくなるくらいの勢いで。
竹川さんもまえから、
アイディアが浮かぶときは、お風呂に入っているときとか、散歩しているとき、
みたいなことを言っていて、
「お風呂で録音した鼻歌を送ってくれたアーティストもいた」みたいなことを言っていたけれども
それが、めちゃくちゃよく分かった・・・・。
しかもこれ、いやいや、どうせ偶然でしょう、
と思っていたけれども・・・・何度も何度も何度も、そういう場面に遭遇してしまった・・・・。
理性が、ぐうの音も出ないくらいに・・・。
もちろん、いつもではない、たぶん期待しているときはまだ「思考」しているから。
まだ、こうしなきゃいけない、と思っているから。
でも、いまはその流れじゃないんだな、今日は雨だから、川に行くのは諦めようくらいで、今日はぼけーっとしてただよう日、それでいい、と自分に言ってあげて、
わからないことを楽しむ感じ
できないことを許してあげる感じ
そして、降ってきても降ってこなくてもどちらでもいいよ、と。
そんな感じで、ぼけーっとしていると・・・
降ってくる。
もうほんとに、たくさん・・・。
やりたいことが追い付かないくらい、次から次に・・・流星群みたいに。
しかも、その降ってきたものを、
その瞬間ぶわーっと書いていいのはもちろんのこと、物理的にどうしても書けない状況であっても、一文のメモとかだけでも、あとでちゃんと必要な言葉として、つづきが立ち上がる。
確かにそのときの温度ではその時にしか書けない。
でも、「降ってきたときと同じ温度では書かなくていいよ」と思うと、寝かせてもまた、別の言葉や角度で伝えたくなってしまう。
だから、書いても書かなくてもどちらでもいい。
そして、ぶわーっと書いたものを、そのまま出してもいいけれども、出さなくてもいい。
それをそのまま出そうとも思わず、また数日寝かせてみると、もっと伝えたかった核心を言葉にできたり、逆に、剪定するようにそぎ落とすことができたりすることも感じました。
そして、そういうことをしていくと結果的に
どうなったかというと
「速くなった」
というのもかなり驚きでした。
やらなきゃ、とか、急いで、となってやったものは、その瞬間はたしかに、数だったり、量として、表には存在するけれども、あとでまた再修正みたいな時間がものすごく必要になる、というのがわかって。
分かりやすい出来事としてあらわれたのが、庭の仕事。
焦ってやったことが、骨折につながったことがありました。
その骨折をしたことによって、めちゃくちゃ忙しい時期なのに、庭に行くことができない日が1ヵ月半もあった。
それは逆に現場に迷惑をかけた。
これは、記事修正とかにもいえたな、と。
自分の何かを削ったり、自分に鞭を打つように、義務感寄りで書いたものを出したら、高揚感みたいなのはある。
でも、あとから、ああ・・・なんか、違った・・・と
後悔のような感覚が残りました。
それで、何度記事を直したことか……。
1つの記事に、20回くらいの修正をしたこともありました。
だけれども、それだけ修正したにもかかかわらず、
結局、1年間ずっとしっくりくる言葉に出逢えなかったんですよね。
でも、
降ってくるまで待とう。
という姿勢でいたら、1ヵ月くらいで納得のいくものにたどりついた・・・。
もちろんその1年の試行錯誤も大事だったな、あれがなかったら、たどり着かなかったなというのもあるから、無駄なことはなにもない。
でも、もしも次、同じことがあったなら、次はきっと、もっと軽やかに動けるな、と思う。
無理をしたり
鞭を打ったり
命を削ったり
そんなことをせずに、川に浮かんで景色が変わっていくのを眺めるような感覚で。
なんかよくわからないけれど、書けちゃったね、みたいな。
そういう感覚はとても、なんて言うか、
ニヤニヤする。
自分がなんとかしなければ、
世界は取り返しのつかないところまで黒くなっていく
と思っていたのが
自分だけじゃない流れや場や人とのつながり
そういう存在が、背中を預け合うように、
世界を・未来を、明るくしようとしてくれている。
そんな感覚。
だからいま、自分が頑張れなくてもそれでもいい。
できないときがあっても、怖がらなくていい。
そして、降ってくるその瞬間が訪れたなら、
それを自分のなかだけでぎゅっと持つのではなく
どんなかたちでもいいから
世界に送ることが、
今度は、自分が、誰かの背中を支えることになる。
それが巡り。
本当に川の流れ。
濁ることもあるだろう。
泥がたまるときもあるだろう。
底が見えないほど暗いときも。
それでも、ゆっくりと流れていく水は、透き通る川の底を運んでくるから。

心の奥の灯りをそっと想い出す、小さな隠れ家。

もう同じ生き方ではいられない… そう静かに感じはじめているあなたへ




