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糠漬け哀楽

失敗、試行錯誤を繰り返し、ようやくおいしい糠漬けに辿り着くことができました。和食文化の知恵がギュッと詰まった糠漬け、これを味わう幸せを、余すところなくお伝えします。

東京駒場の日本民藝館で「朝鮮工芸の美」の特別展が始まった。

志功の勉強をしていると、どうしてもこの「民芸」という思想に行き当たる。

強烈な個性を発揮している志功の作品が、名もない職人の作る日用品の美と根流するのはおかしなことのように思えるが、ところがこれは360度回りまわって共通するところが非常に多い。

 

民芸の思想を提唱した柳宗悦は志功の作品についてこういっている。

「棟方の絵は、美しいとか醜いとかの範疇を一歩超えたところのものである。美しくなければいけない、というような窮屈なものではない。そこに棟方の強みがある。何かもっと自在なのである。何ものにもこだわりのない自由なところから、あの独創性が湧いてくるのである。

多くの絵画は神経で仕事をしたり、技巧で片付けたり、理論で築き上げたりする。棟方の仕事はもっと遠いところから来ているのである」

 

つまり、我のないところから出てくる仕事、というところが名もない職人と同じ境地だと言っていい。

 

春休み、この「朝鮮工芸の美」を観に行ってきた。

富山県に、、棟方志功記念館・愛染苑(あいぜんえん)、という場所がある。

棟方家族が終戦の年、昭和20年から6年8ヶ月疎開していた家がそのまま残り、押入れの板戸や厠に志功が思う存分筆を振るった跡がそのまま残る、隠れた名所である。

敷地内には棟方志功の作品を展示してある記念館と、志功の思想と非情に近しい民芸の品々が陳列されている民芸館がある。

唐突に何かと思われるだろうが、私はそこで仕事をしている。

仕事を始めて丸々1年たつのだが、、ここのベテランスタッフの解説が素晴らしいなあ、といつも感じ入ってしまう。。

いらしたお客様一人ひとりに、志功の暮らした家の中でゆっくりと話しをするのだが、来館者がそれほど多いわけでもないこの館ならではの良さである。

機会があったらぜひ立ち寄って頂きたい場所である。

 

そしていつか心に響く解説がしたい私は、日々勉強である。

 

 

 

 

 

 

 

子供たちの春休み、単身横浜にいる夫のところへ。
横浜の友達が子どもたち二人を預かってくれるというので、急遽六本木へ行くことにした。

「見たい! しかし見れないだろうな・・・」と諦めていた大原美術館コレクション展へ行ってこれた。新国立美術館。一人で東京の街をぶらぶらするのは十数年ぶり。
夫が、「地下鉄の乗り換え、絶対間違えるだろう」とせっせと乗り換え場所と時刻などかいて渡してくれる。
「もうっ、わかっとるよっ(ウソ)」
と、大切に受け取るメモ。

大原美術館。
よく耳にはすれど、よくわからないもの。こういうものとほんの2,3時間でもじっくり対面してみるのはすごくいい。
大原美術館を設立した大原家はニセモノの事業家ではない。本物の事業家である。ニセモノの金持ちではない。本物の金持ちである。
社会のために学校や病院を作る。「日本の人たちに、本物の芸術を見せたい」という気持ちから西洋の優れた絵画を収集する。それが美術館、という形になり、日本の芸術家を育てる働きをも積極的にすることになる。今でも若手の芸術家の後押しをする面白い試みをしている。
生きた美術館である。
大原美術館を知ると、美術館のイメージが柔らかく変化してわくわくする。
「美術館は、生きて成長してゆくもの」
大原総一郎の言葉だが、なんと響く言葉だろう。