10月も、もう半分が過ぎてしまいましたねアセアセ



先祖の調査は進んでいるようで、ちょっと足踏みしています。


結構、私の詰めが甘くてですねー。

実はまだ戸籍が全部集め切れていません


請求できるはずの「高祖母」の戸籍を失念しがちなんですよね。

久々に見返して、アレっ⁉︎これも取れるじゃん!ということを3回も繰り返しています。



それに、役場の人も高祖母のもの(男系じゃないから?)は不要だろうと勝手に判断されることがあります。


請求書類には「◯◯姓の直系のもの全て必要」と記入した上、

定額小為替は余るほど送っても、高祖母の分はスルーされるから二度手間ですガーン

しょうがないことなのかもしれないですけどね。



私の場合、自分の姓の先祖だけに重点を置くことは無いし、男系の先祖だけ分かれば良いってことでもありません。

すでに廃棄されていたり、本籍地が追えなかったりするもの以外は全て請求しています。


どのご先祖様も平等に…とは思っても、史料の有無によってかなり差が出てくると考えられます。



この間の、母方祖父の父の母の実家・棚倉G家も、何かあるんじゃないかって、

昨日は『棚倉町史』を捲りましたけど、何も記録は無さそうです泣き笑い



やっぱり、農家は滅多なことでは記録が無いように思いますよ。

文献に見えるような、いわゆる豪農と言うのは、日本の中のほんのごく一部の家でしょうね。



うち(私の姓)なんかは、どこからどう見ても小作農で間違いないですから、

記録なんてあるわけがなくて、早々に探す気も失せました。(笑)


いくら探したって、出て来ないもんは出て来ないんですから、

ある程度 的を絞ることも必要になってくるでしょうか。



それでも、ここまで進んできたことで発見は多々ありました。


本家のお墓を発見したことや、自分ちのお墓に入っている人(高祖父母と曾祖母の兄)が分かったことは大きかったですね。


いくら小作農だ、水呑百姓だと言っても、関東大震災や太平洋戦争を経て、

この100年以上もの間、ずーっと同じ場所に本家があるなんて、なかなかシブトイじゃないですか。(笑)


こんな流動的な都市部であるにも関わらず、うちだけじゃなしに、

祖父の父の実家・N山家も、祖母の父の実家・K家も、同じく微動だにしない。

それだけでも、私は驚いてしまいました。



何をどこまで調べるのか、終着点というのが全然見えませんが、

私の血筋のちょうど半分は福島県民で、そのうちの半分ほどを棚倉出身の先祖が占めています。


母も棚倉にルーツがあるとは知らず、今までに一度も訪れたことがないそうですし、私は棚倉町も含め、東白川郡は未踏です。


それで、気になるばかりなんですよ〜。


あまり大々的には知られていませんけど、町で資料館をやっているそうでしてね。

しかも、この場所が先祖が住んでいた場所と至近なんですよ

そんなことで、ここはいずれ訪れなければ!と思うようになりました。



棚倉町_城下町くらしの資料館のご案内


棚倉町は結構近いように思っていましたけど、ここから一番近い行き方は、かの新白河駅からバスバス

磐城棚倉駅があるのに、水郡線よりもバスなんですね。


新白河駅でも、バスで40〜50分も掛かるそうで、川崎駅からで言う東扇島みたいです。

白棚線って途中からはバス専用レーン(昔は鉄道だった名残)ですからね〜。

それでも、そんなに時間が掛かるのか!と思ってしまいました泣き笑い


289沿いなんだから、車で連れて行ってよ!と親には強請ったんですが、まんまと却下されましたチュー

車が多いからヤダ、後続車に煽られるからヤダ…ですって。



まあ、でも、いずれ、近いうちに訪ねようなんて考えています。

多分、一人になるとは思いますがね。


わざわざ棚倉まで行って無駄足にはなりたくないので、こちらで調べられるところをちゃんと調べてからにしたいと思います。