話が前後するのですが、ちょうど棚倉の先祖の話をしたばかりだったので続けます。
実はつい最近、また棚倉町に戸籍を請求したんです。
もう粗方は請求が終わったものとばかり思っていて、
一通りの見直しをしている最中で、高祖母の戸籍がまだ取れるんじゃないか⁉︎と気付きました。
私の高祖母と言ったら、私の祖父母の祖母に当たるので、
年代的には今から150年前くらいに生まれた人です。
古い戸籍、たとえば明治19年式のものは、書き方や情報量にかなりの差もあるし、
そもそも女性に関しては、ざっくりとしか書かれておらず、それ以上探ることが難しいです。
その次の、明治31年式の戸籍に載っかってさえいてくれれば、
情報量が増えることもあるので、これが次の請求へのヒントになります。
今回の高祖母(母方祖父の父の母)も諦めようかと思っていた矢先、
ヒントとなる高祖母の実家らしき本籍と戸主(高祖母の甥)の名前が見えました。
というのも、前にお話ししたかもしれませんが、高祖父母が離婚してましてねー
二人に何があったのかは分かりませんよ。
明治期、若いうちの離婚は数え切れないほど見てきましたが、
昔にしては年を重ねてからの離婚は珍しいとさえ思ってしまいます。
元夫(高祖父)が亡くなった後で、長男(曾祖父)が実母(高祖母)を自分の戸籍に入れていたんです。
この出入りの形跡があったからこそ、高祖母の実家が分かりました。
それで、戸籍を請求したら…
おそらく、結婚前と離婚後で2通かな?と想像していたんですが、4通も来ました!
離婚後は1通(下記14)、結婚前が3通でした(下記11〜13)。
明治31年式が2通も来たのは、高祖母の兄が再婚(前妻は死別)を機に転籍したからのようでした。
しかし、居住実態はどうも前の本籍地のようで、これはロンダリングと言うかね…
都合の悪いことがあって、戸籍を新しく作る為だったと解釈します。
結構、家族関係がグチャグチャなんですよ…
そして、なぜか次々に養女を取っていましてね。
女子ばかり家族が増えているんです。
しかも、小さい子どものうちではなく、10代後半とか、ほぼ大人という年齢で、
近隣の集落からではなく、今の塙町や矢祭町から来ているんですよ。
同じ東白川郡ではありますけど、結構遠いですからね。
何か、女性の働き手を必要とする生業と関係あったのかな…?と想像します。
また養蚕関係⁇
働いてもらう代わりに、うちで衣食住の面倒を見ますよ〜ってことで、
昔は養子を簡単に取ったのでしょうか。そんな気もします。
高祖母の実家が今も現地にあって、戸籍と電話帳を調べたところ、
私の祖父の従兄弟に当たる人が跡を取っていると分かりました。
ただ、今現在ご存命かどうか、難しいご年齢ではあります
Googleストリートビューで見た感じは、親戚の家に似ていて、いかにも農家っぽい造りに見えました。
昔の農家の、どのレベルが豪農で豪農でないのか私には全く判断がつかないし、おそらく豪農ではないのだと思いますが、
地域の有力な家であれば、もしかしたら文献に現れることがあるかもしれません。
私は、また棚倉町史と睨めっこしなければならないですね〜
それにしても、母方の祖父の家系だけで、14通もの戸籍が出てきました。
取得できるかどうか別としても、まだ残っているものもあるかと思います。
本籍地のアザや番地が分からないのと、父母の名前が分からないものは、やりとりが面倒ですから請求していません。
結構、古い時代まで遡れていますから、こんなものではないでしょうかね。
【母の実家・白河S家】
①祖父の戸籍謄本…今年4月で除籍謄本となった
②祖父の改製原戸籍
③祖父の除籍謄本(鮫川村)
【祖父の実家・鮫川S家】
④曾祖父の除籍謄本
⑤曾祖父の改製原戸籍
⑥高祖父の除籍謄本
⑦高祖父の兄の除籍謄本
【④の妻、曾祖母の実家・鮫川S家その2】
⑧高祖父の除籍謄本
【⑧の生家・棚倉S家】
⑨高祖父の兄の除籍謄本
⑩高祖父の父の除籍謄本
【⑥の妻、高祖母の実家・棚倉G家】
11 高祖母の兄の除籍謄本(明治19年式)
12 同上(明治31年式)
13 同上(明治31年式・転籍後)
14 高祖母の甥の改製原戸籍