いつの世も、感染症の最前線で戦う人は命懸けなんだなーと記事を読み始めたら…
昭和21〜22年の佐世保引揚援護局の話だったので驚きました。

私の母方の祖父は、佐世保の浦頭港に上陸した、およそ139万人のうちの1人です。
昭和21年の引揚げでしたから、時期もちょうど重なります。

今のハウステンボスの辺りは、引揚者の宿舎があったことも、私は知らなかったです。
祖父もそんな昔のことは忘れてしまっていたでしょうかね。


劣悪な環境の中、浦頭港の検疫所で働き、亡くなられた看護師さんに
祖父もお世話になったかもしれないと思うと、とてもありがたく、申し訳ない気持ちになりました。

こういう方々の努力があったから、私の祖父も無事に福島の実家に帰ることができたのだと思います。