いつの世も、感染症の最前線で戦う人は命懸けなんだなーと記事を読み始めたら…
昭和21〜22年の佐世保引揚援護局の話だったので驚きました。
私の母方の祖父は、佐世保の浦頭港に上陸した、およそ139万人のうちの1人です。
昭和21年の引揚げでしたから、時期もちょうど重なります。
今のハウステンボスの辺りは、引揚者の宿舎があったことも、私は知らなかったです。
祖父もそんな昔のことは忘れてしまっていたでしょうかね。
劣悪な環境の中、浦頭港の検疫所で働き、亡くなられた看護師さんに
祖父もお世話になったかもしれないと思うと、とてもありがたく、申し訳ない気持ちになりました。
こういう方々の努力があったから、私の祖父も無事に福島の実家に帰ることができたのだと思います。
NHKニュース@nhk_news引き揚げ者が押し寄せていた昭和22年、女性看護師が22歳の若さで亡くなりました。検疫所で働き始めておよそ1年後、感染症にかかったのでした。 https://t.co/svBGEFIcdb
2021年05月07日 12:30