本日は75回目の終戦の日。

全ての戦没者の方へ哀悼の意を表します。

 

 

終戦から75年が経った今、戦争を知る人がとても貴重な存在になられ、私自身もこの一年余り、慌てるように祖父の軍歴について追ってきました。

 

私の世代としては、祖父母が戦争体験者であることが特別のことではなかったですし、

両親の世代も、親が戦争体験者であるこに対し、特に疑問に思うことなくきてしまった・・・と話していました。

 

冷静に考えてみれば、国の命令で一般人が戦地へ送られることは普通のことではありませんよね。

同じ家で暮らす父親や祖父がかつて戦争へ行っていたんですから、

今の若い人達よりも遥かに、戦争というものを身近に感じなければいけなかったのだと反省をします。

 

 

肝心の祖父は、何度もお話しした通りで、戦地でのことを語りたがりませんでした。

家族にどう思われるかを心配をしていたのかな・・・と、私はずっと思ってきましたけど、そうじゃないだろうなと今になって思います。

 

「国が戦争していたから」「国の命令で断れなかったから」「仕方なかったんだ」どこかでそう思いたい反面、

「あの戦争は一体何だったんだ?」「俺は何の為に戦ったんだ?」

戦地で捕虜になり終戦を迎えて、そういう虚しさだけが残ったはずです。


だから、戦後何十年経っても複雑な思い、葛藤を消化できないままだったのだろうと思います。

 

それでも、私の祖父はまだ良い方です。

日本に無事帰還することができましたし、祖母と結婚して家族にも恵まれましたから(こんな不肖の孫もいますけどね)。

 

 

個人的に頭が痛いと思っているのは、祖父の兄達(大伯父)のことです。

父方の祖父は五男、母方の祖父は三男と知り、親に聞いてみたところ、全員戦死していると思われます。


曾祖父母の戸籍を取ってみれば、名前等は分かると思うのですが、さらにあと6人分の軍歴を調べるのは・・・。

 

今となっては、大伯父がいたことも半ば忘れ去られ、いつ・どこで亡くなったかも分からない。

弔う人も誰もいなくなってしまったということが、私としては本当に心苦しく思っています。

 

私ができることと言ったら、千鳥ヶ淵戦没者墓苑にお参りに行くことくらいですかね。

落ち着いたら必ず行こうと考えています。


それから、次々と失われつつある各地の資料館も行ける限り行きたいと思います。

 


何故、そこまでするんだろう?と自分自身に問うてみましたが、やはり時とともに失われていくものが多いからでしょうね。


あと四半世紀が経てば、戦後100年という時代です。

戦争を知る人もいずれはいなくなってしまう。そのことを何より危惧しています。

 

私の子どもの頃からすでに「歴史認識」という言葉がありました。


おそらく、終戦時でも過去を省みようとせず、次の機会をうかがっていたような人がいただろうと想像しますが、近現代史を語るってことが厄介なことになってしまったのはいつからなんでしょうね。

 

特に、拍車が掛かってしまったのは、ここ数年のことなのではないかなと思います。

私個人は、歴史学が面倒臭いものだと思ったことは、人生で一度もなかったですが。

 


現在の政治や外交関係のことで、過去の歴史が変わるってことはあり得ません。

本来、歴史に右も左もありません。あるのは事実(史実)だけです。


史料が乏しくて証明が難しいこともあるでしょう。それでも、我々は真実だけを探し求めていかなければならない。

 

幸いにして、私は偏った史観の持ち主に出会うことは一度もありませんでしたが、SNSを開けばそういうお考えの人が幅をきかせていることに憂いています。

 

何を言うも考えるもそれは自由ですが、事実とは言えないことを吹聴し、扇動するのを看過するわけにはいきません。


声をあげていかなければ、大声にかき消されてしまう。

歴史修正主義と真っ向から対立する所存です。


戦争の記録と記憶、そして戦争体験者の方々の思いを戦後100年、さらにもっと先の時代へと引き継ぎ、

確実に伝えていくことが今を生きる私達の使命だと感じています。

 

このままずっと戦後が続くように。決して戦前とならないように。

決意を新たに致すところです。