ようやく第二シリーズ😅

母方の祖父の最終所属部隊は独立混成第62旅団、すなわち「操」部隊と呼ばれていました。


昨夏に福島県から送ってもらった資料で、だいたいの履歴が追えていました。

母方だから苗字が違う、本籍の市町村も違うせいで、何度もトラブルがありましたし、どうしようかなと迷いましたけど…
厚労省の持っている資料も、手に入れられるうちに!と思い、開示申請に踏み切りました。

送付されてきた封筒を開けた瞬間から、知らなかった事実が飛び出してきたので、迷いながらも申請を出して良かったと思います👍


祖父に関する資料全てを開示願いますと一筆書いておいたのが良かったのでしょうか⁉︎
旧陸軍の資料だけでなく、まさか旧海軍の資料まで…😱
こんな資料が出てくるとは想像もしませんでしたよ。

情報を簡単に探すことができるのか、どうなのかは分かりませんが、こうして見つけていただいたことにとても感謝しています🙇🏻‍♀️

昭和17年からの2年間は、祖父が18〜20歳頃にあたりますが、海軍の工員として、よりによってこの神奈川県にいたとは!😳

若い頃、横須賀にいたよなんて、祖父も語らなかったし、親族の誰一人として知らないでしょう。

横須賀と言ったら、海軍や海軍カレー🍛は全国的に有名ですけど、
同じ県内にも関わらず、私は一度も行ったことがないので、どこか遠い存在に思っていましたよ。


「国民徴用令」も、そんな法律があったような…?というレベルの理解でしかないですが、
国の命令で東白川郡から横須賀まで行かされて労働をさせられるって、今からすれば普通のことではないですね。

それにしても、この時代の国の制度や社会の常識なんて、私には分からないことだらけですし…
いきなり海軍が出てきて、知ってるようで知らない横須賀が舞台になってしまって、出鼻を挫かれる思いですよ〜😂