もう終わりと言いながらも、諦めが悪いのでまだちょっと調べてます。
仕事中は暇な時間も多くて、パソコンで地図を見てますよてへぺろ
 
 
ずっと引っ掛かっていたのは、満州から戻って来て「横浜」に着いたという件。
 
おそらく、釜山から船に乗ったものと想定しますが、
釜山から見たら横浜とはずいぶん東に逸れているなーと思っていたんです。
家が近いからって、横浜まで送ってくれるわけではあるまいし…。
 
帰国した3日後には造船会社か何かに勤務していたようでして、
その3ヶ月後は広島の船舶本廠に転属になり、金輪工場というところで一月ほど働いていたようなんです。
 
 
広島!?金輪工場!? 一体何の工場なんだろう?と思い調べてみたら、
どうやら今の広島市南区にある「金輪島」に祖父の所属した部隊がいたようなんです。
ちゃんと「金輪島」って書いておいてくれたら、もう少し早く分かったでしょうけど・・・
 
こういう記録というものは困ったことに、
その頃の当事者にっとって当たり前(常識)だったことは書かれていません。
あぁ、昔、そんなこと先生から言われたわ~!!ゲッソリとつくづく思うのでした。(笑)
 
でも、今の私達だって同じだと思いますよ。
日々、起きていることが当たり前になってしまうと、何かを言うことも書くこともしないと思います。
意図的に記録に残そうとしないと、自分でもいつか忘れてしまいそうだし、後世の人はもっと分からないでしょうね。
 
 
今の金輪島の地図を見てみたら、現在も造船会社が存在しているように、戦時中から造船業が続いてきたみたいです。
だから、祖父が勤務した工場というのも、たぶん造船関係の工場だったのかなーと思います。
 
そして、島のちょうど東側(安芸郡坂町)に、ある地名が目に入る目
よっ、横浜ぁ・・・叫び
 
釜山から船で帰ってくるのに、神奈川よりは広島に到着する方がどう考えても自然だと私は考えます。
神奈川まで航行するのは、ただでさえ資源が乏しいのに、燃料が無駄になりますからね。
広島の横浜には、今も海上保安庁の基地がありますし、当時も港として機能していたのではないかと思います。
 
横浜って地名が他県にもあるっていうのは知ってましたけど、
そりゃーお隣の横浜を思い浮かべてしまいましたよ~。
それは私だけじゃないと思うんですけどね!
 
ここもね、広島の横浜って書いておいてくれれば、こんな遠回りをしなくて良かったんです!
やっぱり常識を疑って掛からないといけないんだなーってことが、今回のことでも良い勉強になりました笑い泣き
 
 
それと、すんごく遠い記憶を思い出したのですが、
私が子どもの頃は、祖父が度々広島へ旅行していました。
毎度、お土産はもみじ饅頭をもらってました爆  笑
(甲府で信玄餅ってパターンも結構ありました)
 
あれはきっと、戦友会のお友達との旅行だったのだなーと思います。
 
戦友会の知らないおじいさん達がよく家に来ていて、ワイワイととても楽しそうでした。
あのおじいさん達がどこに住んでいたのか、私は聞いたこともなかったですけど、
あまり遠くから来ている風でもなかったので、近場からいらっしゃってたのかも。
家族の誰も混ざってはいけない感じで、どんな話をしてたのかも全く分からないです汗
 
たぶん、みなさん同じような年代の方々とお見受けしたので、今もご存命なら100歳前後・・・。
世の中には100歳でお元気な方もいらっしゃいますからね。
もし、同じ部隊に所属してたという方がご健在なら、お話を伺いたいと思うんです。
でも、さすがにちょっと厳しいですね~笑い泣き