謎が解けてきましたよ〜。

「除隊召集解除者連名簿」では「伍長」、「身上申告書」では「兵長」と記載がありましたが、一体どちらなのか?

どうやら「ポツダム進級」というのがありまして、ポツダム宣言受諾後に、階級を一つ進級させたそうなのです。
だから、記録をしたタイミングによってズレが生じていて、祖父は最終的に、兵長から伍長に進級したものと考えられます。


それと、満州時代の資料に偶然行き当たりました👍
第15野戦兵器廠(岩第2632部隊)ですって😓

祖父の行動歴と、日付まで合致するわけではないのですが、概ね流れが合っています。
2〜3日のズレはありながらも、大阪、釜山、満州の地名がピタリ。


牡丹江省東寧県大肚子川とありますが、北朝鮮寄りと言うか、シベリア寄り、今の黒竜江省に当たるそうです。

釜山から上陸し、朝鮮半島を縦断して、そんなところまで〜⁉︎😱
そう思いましたが、その頃の朝鮮半島は日本の占領下でしたし、満州国もまだこの頃は安全な場所だったのかと思います。

しかし、祖父も一般市民ですから、いくら訓練を受けたとしても、兵器廠って…危なくなかったんですかね⁉︎
取扱いの不注意による事故等もあったんじゃないのかなーと思ってしまいます。


そして、昭和18年に入り、南方への転属の動きが始まります。
2年超を満州で過ごした後、フィリピンへと向かいます。
結局のところ、満州は大丈夫だからって、もっと危険な場所へと行かされたわけです😓

もし、このまま満州に残っていたら…?
関東軍は民間人を置き去りにしたと言いますし、祖父も無事に逃られたのかもしれないですが、何が起きたかは分かりませんね🤔