『戦中・戦後の暮らしの記録』を読んだ後で、さらに知りたいと思いました。

日本各地の空襲被害、広島や長崎の原爆のこと、唯一の地上戦となった沖縄のこと…
誰しもがある程度の知識を持っているはずですが、
それと比べると、満州での出来事はあまり多くが語られていなあと感じていました。

もちろん、それぞれ被害者の方々を思えば被害の大小を比べることはできませんが、
「ありったけの地獄を集めた」と言われる沖縄戦と同じかそれ以上に、
終戦間際から終戦後の満州は無秩序だったように思います。

男性は、ソ連軍に連れ去られシベリア抑留になりましたし、
戦争とは無関係の女性や子どもまで大勢犠牲となったことに心を痛めます。


戦後74年の今から見るに筆舌尽くしがたい、とても信じられないような状況。
逃避行の最中にも寒さや飢え、病気で亡くなってしまうので、
自分もその時代の満州にいたら、生き延びられるとは到底思えません。
引き揚げ船の船内や、せっかく日本の土を踏んだのに亡くなられた方もいたそうです。

満蒙開拓団は日本の国策で、自治体によってはかなり力を入れて推進されていたようですが、
渡満するかどうかは自らの決定ということが分かりました。

こういう結末に至ったのは自己責任とは思いませんよ。
国や自治体は良いことしか言わないでしょうからね。

そもそも、入植前に不当に土地を買収したり、現地人を奴隷のように扱ったりしていたことで、
不満が爆発する要素が十分にあったと分かります。

中には、現地人に対して常日頃から親切に接していたから、
逃げる際にも手助けしてもらったという話もありました。


大きな悲劇を生んだもう一つの原因といえば、
関東軍や官僚など、満州の実質的な支配者が早々に撤退をしたことです。
いつの時代も権力者達は無責任ということですね😑

全体で見れば、日本人は加害者でもあり被害者でもある、複雑なありさまで、
国家にとって都合の悪い歴史であるから、教科書でサラッと触れる程度なのかもしれないです。

47全ての都道府県から開拓団が送り出されたということを考えると、誰も無関係とは言えないですね。



二松啓紀『移民たちの「満州」  満蒙開拓団の虚と実』 (平凡社、平成27年7月)