ここまできたらさらにスルーできずに、
もう一軒のお寺(菩提寺)にも行き、お墓参りしてきました。
私はこの一年お墓参りしていない私はひどいものだけど、
家族・親戚はみんな何年も行っていないかも・・・。
まだ見つけられてない先祖のお墓も探したのですが見つからず。
亡くなったのが大正時代のことだから、
墓石を新しくされていたりして、
見た目には分からなくなっているものと思います。
ここへ来ると必ず父方祖母の実家のお墓にもお参りするんですが、
一番奥の方にあるお墓へ行くのに、墓地が迷路のようになっていて、
何度も行き止まりに当たってしまうんです。(笑)
そんな時に、ふと見上げたら私と同じ姓のお墓があって、家紋も同じ。
日本中どこにでもいる姓だし、ありふれた家紋なので、
別に不思議なことではないんですがね。
ここの墓地に何度となく訪れ、
学生時代に(調査・研究目的で)全基を見たはずなのに、
私は同じ姓のお墓は他に無いと思っていました。
完全に見逃していたのでしょうね。
施主の名前(女性)に見覚えがありました。
昨年、先祖について調べたからこそ分かったものです。
そこに入っているのは、施主ともう一人の男性。
この男性は、私の祖父の兄、
施主はその妻で間違いありませんでした。
お墓の建立時期と男性が亡くなった時期(昭和53年)が同じで、
男性が亡くなって慌てて妻がお墓を建てたのだなと分かりました。
二人の間に子どもは居たのですが、
昭和27年に6歳で亡くなっています。
その後、戸籍が分かれてしまったので、
もしかしたら子どもが生まれている可能性はゼロではないですが、
その子が生きていた昭和21~27年の間には誰も生まれていなかったので、
居ないような気がするんですよね。
この奥さんは相模原の出身で、子どもが亡くなったのもそちらだったから、
てっきり相模原に居住していたものと思っていました。
もしかしたら、いつからか川崎に戻ってきたのかもしれないですし。
戸籍って、実際の居住地までは分からないですもんね。
このお墓に最後に入った祖父の義姉は、
祖父ら兄弟の手配で埋葬されたのではないかと思います。
それが平成5年のことでした。
どこの家も代替わりが進んでいるので、
このお墓の存在も、そのうち忘れられてしまうかもしれません。
でも、私は気付いてしまったので、
ここに住んでいて、自分が行ける限りはお参りしようと思います。