言葉を受け、此方に帰ってきたのですが





それは難しいのでは......?とすぐに抱きました。





そう形作る体制そのものの変換が難しいはず.....と思ったのです。






言ってみれば、税金や憲法や政治や外交や世界の姿をすぐすぐ変えられないということに似たエネルギー体制があるからでもあり






同時に、人々の心や景色、姿形を思いますと



鳥居はあって当然.....というか

あることが普通と思う暮らしぶりになっていることを感じますし




(参拝方法の作法ひとつとっても、鳥居ありきの日常)



普段は、あることに対して特に疑問なく
生活意識に定着していますし




そうやって暮らしているのに



何故、それを変える必要があるのかと思うのが常かもしれず




神社とはそういうもの


そういう形が正解......


のように在り続けてきた社会環境にあるからかなと抱きながらでした。






けれども、感知される方々の中には、物質として存在する鳥居に対して




霊的な働きかけを施し、鳥居の封印結界に変化をもたらしていくことにつとめられている方々もいるとうかがっており



実際に鳥居が存在しながら


見えないところで、うねり変化していく繋がりもあるのだろうと




行動や想いに様々感謝しながら見つめておりましたm(_ _)m






鳥居はいらぬ...の言葉

色々なことを感じ、考えますよね。









簡単な話ではなく


実現することが必須なのか



進みいく段階として必要なのか







受けながら

本当に様々抱きました。









けれども



確かに鳥居はいらぬと伝えて来たのです。










それから幾度目か 


また聞き受けた体験を経て



日本の神力を想うと

国土がもつ霊的な本質の役目を解き放ち



日本や世界、地球のためには



やはり鳥居を外していく判断も必要になってくるのではと次第に思うようになりました。









他に今この時に同じように聞き受けている方はいないのか


神社仏閣に直接携わる方々に降ろされていないのか




いるはずなのでは?と抱きながら見つめつつ


出そうと思い至ったのです。









これまでも
各地の地震や雨や風、水や火の影響で
神社の鳥居が倒壊したというところもありました。




必要なことが必要な場所で必要な形で起きている現象でありメッセージであったろうと思います。





再建されたにせよ、一瞬でも国土の地から鳥居が外された意味は、見える世界、見えない世界に意味をもたらしているのではないかと感じました。







そして、幾つかの理由から、私ごときが伝えても難しいとここはだんまりを決め込んでいた方が良いと 伝達を受けて尚思っていた日々でしたが






時が経ち、他、様々な伝達を受けている流れの中、再び、ある体験があって、昨年、ようやく重い腰を上げるように鳥居について紡ぎ始めました。






鳥居はいらぬ



この言葉と体験に触れて頂き

何かを感じて頂けましたら幸いです。



続)