子供からお年寄りまで全世代から高い人気を誇る「からあげ」で有名になった豊永社長。現在の「博多とよ唐亭」に行きつくまでに、多くの困難を乗り越えてきました。最初はバーの経営、それからクレープ屋、ミートパイ屋、テイクアウトの焼き鳥屋などの事業を展開するも閉店を繰り返し、20代前半から40歳になるまでの約20年間、失敗の連続で、ドン底まで落ちたこともあったとのこと。ですが、豊永社長は諦めず、からあげでの事業で勝負することを決意しスタートしたのが、「博多とよ唐亭」です。
すべての世代から愛される食べ物は多く存在します。その中でもから揚げはおかずの定番であり、から揚げ弁当は弁当屋さんには必ずといってもあり、から揚げを専門的に扱うお店もあるぐらいです。博多を中心に店舗展開をする「博多とよ唐亭」もその1つです。運営する株式会社喰道楽の代表取締役社長は、豊永憲司さんです。
豊永憲司さんの経歴
豊永憲司さんは1970年8月18日生まれで現在51歳です。小学生のころから漠然と社長になりたいと思っていた豊永憲司さん。大学を中退すると、様々な自営業にチャレンジします。最初はバー、クレープ屋、焼き鳥屋など飲食業を中心に経営を行います。その後、建築業に打って出るとこれが成功を収めたのですが、この時、不渡り手形をつかまされたことで1億円の借金を抱え、その債権が外国人に渡るなど最悪の展開を迎えます。しかし、これでへこたれることなく、勝負に出たのがから揚げでした。1つ330円という破格の安さでから揚げ弁当を作り、これを販売すると大ヒット。現在までに30店舗まで増え、1億円の借金を一気に返せる年商をたたき出します。どん底だった時期は税金も支払えず、生活保護まですすめられる状況でしたが、これをはねのけたのです。
豊永憲司さんを支えるプラス思考
豊永憲司さんは生活保護をすすめられるほどどん底を味わい、借金を抱えていました。しかし、豊永憲司さんはそのことにくよくよしなかったのです。それはなぜか。そこには同級生が借金を理由に自ら命を絶っていること、そして、生きていればなんとかなるという気持ちを強くもっていたからです。縄文時代のお金は貝殻だったではないか、たかがお金であると言い切れる人はなかなかいません。そして、豊永憲司さんは、「払わなければ借金はないも同然」と言います。払いたくても払えないのだから軽い気持ちでいた方がいい、重く捉えない方がいいという考えです。決して借金を踏み倒せと言っているわけではなく、少し待ってほしいと言えばそれで済む話だと捉えています。
夢はでっかくニューヨーク
豊永憲司さんの夢は100店舗に増やすこと、そして、ニューヨーク進出です。100店舗目はニューヨーク、これが合言葉になっているのだとか。既に台湾への進出を果たすなど、結果はしっかりと残している豊永憲司さん。究極のプラス思考、そして、マイナスなことを重く受け止めないスタイルは、夢を実現させるには十分なマインドと言えるでしょう。