序章: 自己紹介と導入

 こんにちは。元創価4世のキネシンです。私は、両親ともに熱心な創価学会員の家庭に生まれ、創価高校へ通ったのち、大学生になって会のおかしさに気づいて脱会しました。今は大学院生として、親元を離れて生活しています。私の生まれ育った家庭は、両親の宗教依存、父親のうつ病とアルコール依存、問題の多い家庭でした。私が脱会した後、私の姿を見た父親は信仰をやめましたが、創価学会という拠り所を失い、陰謀論に傾倒するようになりました。そして昨年の夏、父に大腸がんが見つかり、大きな手術をしました。陰謀論にハマっていた父親は、抗がん剤を頑なに拒否し続け、今年の4月にあっけなく亡くなりました。

 ここ数年間、本当に色んなことがありました。私は、父と同じうつ病になり、何回か自殺未遂もしています。今自分が生きているのがとても不思議な感じです。たぶん、私は死ぬのが下手なのだと思います。これまで、親の期待に応えようと必死に頑張ってきた私ですが、最近「親を諦める」という選択をしました。この記事では、親を諦めるに至った心境の変化を少し整理したいと思います。

 

背景: 家族との関係

 私の家族は、父、母、妹、そして私の4人家族でした。幼少期から思春期にかけて、両親はとても熱心に信仰をしていました。実家の屋根裏で昔の両親の手帳を盗み見ると、創価学会の予定がびっしり埋まっていたし、自分たちの子どもの頃のアルバムを見ると、半分くらいが創価学会の行事の写真でした。私は、小さい頃から真面目な性格で、周りの大人が正しいと言っていることが正しいと思っていたので創価学会の教えを信じていました。それから、父親はうつ病とアルコール依存で、家に居るときはほとんど酔っ払っているという状態が長く続きました。母は父や妹と喧嘩していることが多く、私は母の愚痴聞き役をしていました。いろんな理由がありましたが、こんな家早く出たいと思ったのと、当時は信仰心を持っていたこともあり、私は地方にある実家を離れて、東京の創価高校に進学しました。

 創価高校では、池田大作氏の思想を嫌になるほど学ばされました。その中には、「親孝行をしなさい」という教えがあり、私は両親に親孝行ができるよう、勉強や部活動に一生懸命励みました。毎日の勤行唱題では、「お父さんのアルコール依存が治りますように」と祈っていました。

 

親に対する諦めのきっかけ

 そんな私が、「親を諦める」という選択をしようと決意したのは、父の最期の時でした。今年の3月、父が大腸がん末期で危篤状態だと母から連絡があり、私は一時的に実家に帰省していました。その時のことは前回の記事に書いてあるとおりで、実家は地獄のような様相でした。父は看護師である母に何でも言いつけて世話をやらせ、大声で母を呼んだり何度も何度も電話をかけたりしていました。母は父を献身的に看護していましたが、看護を受ける中で父は母に対する不満をこぼし、「よくこんな母と今まで一緒にいたよ」と言っていて、私は「それはお互い様じゃない?」と言いました。すると、父と母は仲良く笑い合っていました。それを見て私は、こんな父と母のもとに生まれた子供からしたら、迷惑極まりないと思い腹が立ちました。そして、母は文句を言わずに看護をし続け、どんどんやつれていきました。「もう少し休んだらどうか」と私は提案しましたが、一向に話を聞こうとしない母と喧嘩になり、今までため込んでいた全ての怒りを母にぶつけたあと、自殺未遂をし、実家から近くのホテルに数日間避難して、心を落ち着かせる、ということがありました。

 

諦めの意味と影響

 ホテルに避難して、やっと安全な環境で落ち着けて、私は少し健康な心を取り戻しました。そこでは、親子関係に関する本を読んだり、近くを散歩したりして、頭の中を整理しました。そこで、自分の心を守るためには、「諦める」、つまり親に期待をしないということが必要なのだと気がつきました。私が、父や母に怒りや苦しみをぶつけていたのは、両親に自分のことを分かって欲しい、と期待する気持ちがあったからだと思います。でも、今までの経験と、親子関係に関する本の情報を照らし合わせると、私の両親は精神的にとても未熟で、どうも子どもを健全に育てたり親としての責任を取ったりする能力が欠けているようでした。たまに気まぐれで優しさを見せてくれることがあっても、それは気まぐれでしかなく、本当の意味で子どもを理解して優しさで包み込んでくれるということは、期待してもいつまで経っても満たされないから、諦めた方がよいと、本に書いてありました。

 ホテルから実家に戻る際、母に車の送迎をお願いしたのですが、私は体が重くて朝起きるのが少し遅くなってしまって、予定より30分遅らせて欲しいということを伝えました。すでに車で出発していた母には、近くで時間を潰してもらい、そのあと実家に送ってもらいました。実家に帰ると母はすぐ父の様子を見に行き、私に対して不機嫌な態度を取りました。「あなたが30分遅れたせいで、その間お父さんの世話ができなかったじゃない」と言われました。その言葉を聞いて、私は本で読んだ通りだと思いました。両親にとっては、お互いのことが一番大切で、共依存をしていて、子どものことは二の次だったと分かりました。私は両親のために、壊れるまで頑張ってきたけど、それが報われることは無いのだとやっと気づきました。

 また、母は今でも創価学会の活動を続けており、私を散々苦しめた宗教の教えを母が他の人に広めている姿をみるのは私にとって苦しいものでした。母がその活動をやめてくれたらと思うこともありました。しかし、母の信念を変えることは難しく、その点についても諦めることにしました。母は自身の信仰を大切にしており、それに対して私が影響を及ぼすことはできないと悟りました。とても残酷なことですが、自分の人生の次のステップを踏み出すには、親は自分の期待通りにはならない、という事実を受け入れなければならなかったようです。

 

現在の心境と未来への展望

 親に対する諦めを経て、私は自分自身の成長を感じています。もう親のために生きるのではなく、自分の幸せを追求して良いのだと思えるようになりました。今後は、自分の研究に集中し、心の平穏を取り戻していきたいです。

 「親を諦める」というのは、決して簡単な選択ではありません。しかし、それは自分自身を守るための大切なステップでもあります。この記事を読んでくださった皆さんが、自分の心の声に耳を傾け、自分自身を大切にすることを願っています。

 

 

参考文献

加藤諦三 2017年「子供にしがみつく心理:大人になれない親たち」毎日新聞出版社

高橋和巳 2016年「母と子という病」筑摩書房

リンジー・C・ギブソン 監訳:岡田尊司 訳:岩田佳代子 2023年「親といるとなぜか苦しい:「親という呪い」から自由になる方法」東洋経済新報社