今日、気づいたことがある。
作法が苦手な理由、である。
僕は、何をおいても、抑えつけられることを嫌う。
表現の不自由は窮屈さを感じさせ、自分というものを殺すことになる。
自分が作りたいものは、僕の生き様、感性、視点、命そのものである。
それを奪われようとしている、そう感じるのだ。
だから、枠にはまった作法を嫌う。
伝統なんかくそくらえだ。
そのときの自分が感じた最高のものを、自分の手で表現しているのである。
作法というもので修正されては、たまったものではない。
それはもはや、僕の作品ではないのだ。
その過程において、表現の仕方をどうこう言われるのも興ざめである。
アートにルールはない。
決まった材料を使わなければならない決まりはない。
決まった描き方をしなければならないわけでもない。
アートは、全てにおいて自由なのである。
これは、生きることにおいても同じ。
僕は、自分がどう生きるかの自由を求めているのだ。
それを捨てることは、命を捨てることと等しい。
だからこそ、手が墨や絵の具、塗料で汚れようとも、それが作品を作り上げるのに必要ならば汚れとも思わないし、服に書を入れることも何らおかしなことではない。
それが他人にとってエキセントリックに見えたとしても、どうでも良いのである。
主は自分がしたい表現をすること、であり、誰かに評価してもらうための表現をしているわけではないからだ。
これこそ、仏の教えである。