7月7日は「七夕(たなばた)」です。
そもそも七夕は奈良時代に中国から伝わった
① 牽牛(彦星)・織女(織姫)の伝説
② 技巧・芸能の上達を乞う祭:乞巧奠(きっこうでん)
の行事が、元々日本にあった
③ 祭祀に用いる布を織る女性:棚機津女(たなばたつめ)
の話と結びついた儀式・お祭りで、当初は宮中行事として
行われていましたが江戸時代には五節句の一つとして幕府の
公式行事となり、次第に一般にも広まりました。
牽牛・織女の伝説と技巧・芸事の向上を願う乞巧奠
「七夕祭」 奥村政信
奥村政信は江戸前期の絵師で上の絵には七夕に関わるものが
網羅されています。
・天上では天の川を挟んで織女と牽牛の二星が会っています
・左の鳥は鵲(かささぎ)で羽を並べて二星が天の川を渡れる
ようにしたという話があります(鵲の橋)
・地上では「五色の願いの糸」で繋いだ笹を立て、短冊に
願い事を書いて吊るします。笹に着物が掛かっているのは
機織りの上達を願っています。
・芸事の上達も願って太鼓、琵琶、笙、琴などの楽器があります
・台の上には歌や文字の上達を願って書く梶の葉もあります
サトイモの葉に溜まった露で墨を磨り梶の葉に書きます
・機織りの上達を願って糸巻きに巻かれた糸も置かれています
・台の真ん中の供え物は素麵(そうめん)です。
もともとは索餅(さくべい)と呼ばれる菓子を七夕の日に
食べると瘧(おこり:熱病)に罹らないという中国の伝承
ですが、索餅が索麺(さくめん)になり素麺になりました。
江戸時代、商家では七夕に得意先へ素麵を届けました
(お中元に素麺を贈る習わしは現在も続いていますね)
東京杉並の大宮八幡宮では7月1日~15日まで乞巧奠の飾りが
展示されますが、今年はコロナ騒動で一般の人は見ることが
出来るかどうかは分かりません・・・・?
七夕の様子については以前「浮世絵に見る江戸の年中行事」
に書いたことがありますので、今回は書物に書かれている
様子を主に紐解いてみます。
現在では夏の風物詩とされている七夕ですが、江戸時代の
7月は秋で、秋の風物詩でした。
東都歳事記
「東都歳事記 秋」の表紙
「七月 六日」
“今朝未明より、毎家屋上に短冊竹を立る事繁く 市中には
工を尽していろいろの作り物をこしらへ、竹とともに高く
出して人の見ものとする事近年のならはしなり“
「七月 七日」
“七夕(シッセキ)御祝儀 諸侯白帷子にて御祝”
「東都歳事記 七夕」 長谷川雪丹画
と書かれており、屋根の上に林立する七夕飾りの様子や
幕府が定めた五節句の一つである「七夕」の祝いに諸侯が
総登城する「式日」であったことが分かります。
「不二三十六景 大江戸市中七夕祭」 歌川広重
屋上に立てる笹飾りは「人の見もの」となるよう、次第に
高さを競うようになり、長い竿の上に笹竹を結び付けるように
なりました。
“作り物、昔は家々自造して興とす。今は、ホゝヅキ形、
帳面の形、西瓜を切りたる形、筆形等、また机の引き出し
より灸の出たる形など売る。・・・作り物、多くは竹骨を
用ひ紙を張る。 梶葉、クゝリ猿、瓢等は紙にて切りたる
のみ・・・“

「江戸砂子 年中行事 七夕之図」 楊洲周延
「稚遊五節句之内 七夕」 歌川国芳
旧暦の行事の月日をそのまま新暦に適用すると季節のズレが
生じ、現在では7月7日の七夕の頃はまだ梅雨が明けておらず、
雨降りで彦星・織姫が1年ぶりに会えたかどうか分からない
ことが多いですね。
おわり












