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今日と明日の境界線

今日への労いと明日への応援を。

基本的に気持ちも情報も整理するには書いてみるのが一番だと思います。

書いてみて、
うわ私ってそうだったのか、とか、
あ、これってそういうことね、っていう、
そういったいろんな発見があると思ってます。

他の生き物から見たらただちょっと複雑に鳴いてるだけにしか聞こえないかもしれないのに、
私たちの中では完成してる伝達能力。
喜怒哀楽以外の想いを伝えられちゃうなんて、すごいなあと思います。

気持ちや考えを紙の上に見える形にできる能力も当たり前だけど不思議です。
何それめんどくさ!とか思わなかったご先祖様は偉いと思います。
仕事で君の言葉はわかりにくい、とよく言われますが
そもそも考えとか気持ちとか言葉にできるだけですごいよね!と思って自分を慰めてます。
(もちろん仕事は仕事で別の能力を求められてるのですが)
たぶん、最初に言葉をルール化して気持ちを伝えた人たちはソレ自体がすごく楽しかったんだろうなあ。

そう、そうだよ!わかってくれるのね!すてきっ

みたいに。
そう考えるとちょっとわくわくします。
身振り手振りで伝えていたときには地団駄を踏んだことが、石の上に掘った記号とか喉をふるわした音の違いでわかってもらえるようになる。
すれ違うことが当たり前の世の中で、確実に届けられるモノを手に入れた。
歓喜です、乱舞です。踊っちゃいますよ、普通。

と妄想して楽しむのですが、最近言葉のマジックにかかってるような気がしてならないんですよね。
かたや「言葉にしなきゃわからない」
かたや「軽々しく言葉にしちゃいけない」

頭でっかちの人間には辛いところなんですよね。
どっちもそれはそれで正しい、と思うから。
そう言われたら、おおそうか、と納得はするんですが、頭の中は大混乱。
正しいとかないのはわかってるのに、答えを探そうとするんです。

おお、このときはこっちか、であのときはこっち。
そのときはこっちで、ほお、目は口ほどにものを言うとな!

みたいなのは大げさですが。
パターンからなる言動は最後には自分で自分の気持ちがよくわからなくなってしまうんですよね。
「こうしたら正しい!」
みたいに生きてしまった小娘には、
「あれ、それで私はどうしたいんだっけ?」
みたいになっちゃうのです。
言うか言わざるかはそのひとつ。

最近出た私の結論は、
「後悔しないならどっちでも良し!」
です。
最近やっと、
「あーまあ自分が良いなら良いんじゃない?」
と少しは思えるようになりました。
「人傷つけるような自分嫌だし、ってことは無闇なことはしないっしょ。
じゃあ、あとは良いたいか、言いたくないか。自己嫌悪したら謝る」
とまあこんな具合です。

案外ストッパーかかってどうもうまくはやれていないような気もしますが、
気長に自分改革していきたいなと思います。
このブログもそんな中の一歩になるとよいなと思いつつ。

明日もいい日でありますように。