ワンダーウォールオープンして、
わたくし、2度目のお誕生日が近づいて参りました


乙女座*A型*未年


昨日のお誕生日、39回目でーす


なんて言ってたけど


実は、今年47回目


皆さんうすうす、もはや!気付いてたとは思いますが、、


(^_^ゞ


しかし、


いくつになっても、年に一回の事


お祝いや!!


老いワイや!!


(*^^*)


そう!


歳を重ねるって、素敵な事だなって


本当に、やっと、そう思えてきた


色んな、ところに、辿り着いた


でもそれはあくまで、


通過地点!!


肉体が寿命を迎えるまで


終わりなき旅は続いてく


9月のミスチルlive落選した!!せっかくファンクラブハイッタノに!!



そんなこんなで、


スタッフからのご提案を頂き


9月12*13とんで16日に


お誕生日会してもらうことに


(*^^*)


皆様からの老いワイン*シュワシュワぁー


(^_^ゞ


ここで自らお願いする次第であります!!


皆様のお祝い来店


心よりお待ちいたしております


(〃∇〃)




その①を、

登場してきた彼に、

こんなん作ってみた!ってメールしてみたら、

もっといろんな事を感じとってあげれば良かった、と未熟さを感じた。ってニコニコ
中学生やん!未熟に決まってる!!

でもおませさんだった彼はとても優しい子だったのです。

テスト前はおバカな私にレポートをまとめてくれたの忘れられん!

その頃には戻れないけど、今いい付き合い出来てる事に感謝キラキラキラキラキラキラ

私の青春時代は続くのであります。




11歳から自分で決めてきました。だからだめなんですね、型にはめられるのが。
自分で選んだ人生です。せっかくだから、もっと楽しもうと思います。




私の両親はもう他界しています。
今思えば両親共に親としての愛情表現の下手な人達でした。

両親はレストランや喫茶店を経営していて、私は小さな頃から親戚の家に長期で預けられたり、知人宅に泊まったりする事が多くありました。

やはり淋しかったです。

小4で両親は離婚をし、私は一旦生れ故郷の山口県を離れ母と東大阪市に住む事になりました。

離婚の理由に事業の失敗もあったようで、あれは夜逃げでしょう、ラブホテルで何日か泊まり新幹線で母と大阪に。

途中、母にパパは?ときくと後で車で来るよ。と言っていましたが、来ませんでした。


母はキャバレーで勤めはじめました。その頃母と話した記憶がまったく残っていません。


色々な理由が子供ながらにあったのでしょう。
私から母に願って、約一年で父の居る山口に戻りました。もと通っていた小学校へ。


父には結局籍は入れませんでしたが、新しい家庭がありました。半同居。
私は帰るまでそれを知りませんでした。


連れ子がいて、弟と妹ができたようなもの。私を慕ってくれたし、私も遠慮はありながらも嬉しかった記憶があります。

その生活が約一年。

中学生になると同時に、年頃の娘ですから母の元がいいだろうという理由だったかと思います、また大阪へ。大阪市内の中学校へ入学。


母は愛人生活をしていました。母はミナミでスナックをさせてもらっていました。

その頃も母とはあまり会話は無かったように思います。母の彼氏の事はやはり好きにはなれませんでした。

母が店に出ている間、その彼氏とマンションで2人でいる事もありました。

いやなもんです。


人見知りではありましたが、沢山の友達もでき、彼氏もできました。彼らとは今でも良い友達です。素晴らしい人達です。

この頃から記憶が鮮明になっていきます。友達のおかげです。


学生生活は楽しい日々でした。思春期独特のモヤモヤしたものはありましたが、友達が良かったのか、さほどぐれる事も無く、中3の夏までは、部活や恋愛を楽しんでいました。


ませていたので、中2で初体験。その時はその相手と結婚するのかな、なんて考えたりうぶなところもありました。


中3の夏休み7月、今思えば大きな転機。


山口から遊びに来ていた小1からの友達と一緒に山口へ里帰り。


彼女は同棲をしていて、その家に遊びに行ったところ、彼氏の先輩が表れました。

超ヤンキー。大阪ではヤンキーは消滅していた頃。400CCの単車で父宅まで送ってもらいました。

単車初体験。超爆音。はまってしまったんですね。ヤンキー魂に火がついたわけです。


約1ヶ月間始業式が始まる前日までその先輩の実家に入り浸り、単車乗り回して、夏祭りやら遊びまくり。

先輩の事凄く好きだったと思います。


さすがにしびれをきらした母から電話があり、帰ってきなさい。ひとまず大阪へ帰りました。


大阪の彼氏とどんな風に顔を合わせ、話したのか…思い出せません。


友達には山口での出来事を話し、山口での自由な日々に戻りたくて仕方ありませんでした。


9月、そろそろ受験の準備なのに、気持ちを止められなかったんです。母のせいにして山口へ。祖母の家に住むことになりました。


何をどうしたのかほとんど記憶はありませが、


山口へ帰る日、母と友達の男女数名と彼が新大阪のホームまで送ってくれました。

親友はひざまずき泣き、彼は進む新幹線を追いかけてくれました。


なんて事してるんだろう…どうなるんだろう…

涙が溢れて、1人で山口まで約3時間、何を考えていたのか覚えていません。



世の中には色々な生きるカタチがあるでしょうが、変化にとんだ日々を過ごしてきたわけであります。

人は環境に左右される。本来やはり、成人になるまでは、親は子供と、沢山会話する時間を作り、叱り、諭し、生きていく道を一緒に歩むべきなんだと思います。
お互い、個ですから、距離感を大切にしながら。。。



続く。