「ひとつのジャンルしかテーマにできないとしたら、何を選ぶ?」

仲の良いフォトグラファーと、取材中にこんな会話をしたことがあります。彼は”旅”と”人”で少し悩んで、最後に人を選びました。訊き返された私は、やはり”旅”と”人”の間で少し悩み、最後に旅を選びました。

 

まるで甲子園で全国高校野球大会期間中の阪神のような、ロードの真っ最中です。まずは福岡~長崎~天草~鹿児島という旅に出ました。

 

暮らしていたこともある福岡以外は、あまり馴染みがなく、ほぼ「はじめまして」のような土地ばかり。車とフェリーを乗り継いでホッピングしていくと、その土地の営みが少し近く感じられます。

 



長崎のセンチメンタル、天草の親しみやすさと謙虚さ、そして鹿児島のおおらかさ。それらを結ぶ海のきらめき。滞在先や道中でそれらの気配というシャワーを浴び、まといながら感じたことを伝えていく。それはバーチャルな世界がどんなに成熟しても、きっとなくならないものだと思います。

 




九州への旅の少し前に、東京国立博物館の縄文展に行ってきました。驚いたのは、土器の形状は地域ではなく時代によって特徴がことなるとうこと。つまり1万年前から、人は移動と交易を行い、行く先々で刺激と影響を受けながら暮らしていたということです。人々の暮らしは、太古の昔から旅によって進化してきたのです。

 

ハイブリッドすぎる仕事を説明するのが難しく、よりわかりやすくしたいと思い、個人のウェブサイトを作りました。けれど自分の中ではそれらにはどれも共通点があって、「これからの豊かさ」がテーマになっています。そして「これからの豊かさ」というテーマを、旅するようにアウトプットして行きたいのだと最近では思っています。

 



旅するように仕事をする。これからの豊かさを伝える。そのやり方をその模様を綴っていく……。ブログの方向がやっと定まった気がします。

 


7月に行ってきた宮崎食材と生産者、そして移住者に出会う旅。コラムに書きました。

 



土地とそこでできた食べ物には、切っても切れない関係があります。いわば土地が親で食べ物は子どものような……。恵まれた土地に育まれた、宮崎のストレートな美味しさは、もっともっと評価されるべきだし、これからどんどん注目されるのではないかと思っています。




 

 

遅れてきた愛猫家

テーマ:



猫を飼いたい…と漠然と思い始めたのは3~4年ほど前でしょうか。それまで全く興味などなさそうだった知り合いが猫を飼った、と告白されてから数年が経った頃だと思います。町田康さんの猫のエッセイや大島弓子さんの漫画で描かれる猫のいる生活に思いを馳せたり、譲渡会に行ってみたりという期間を経て、昨年10月にご縁あった2匹のきょうだいを譲ってもらうことにしました。

 

山形に暮らす知人の家で、子猫が生まれたことを知ったのは去年の夏の終わりでした。迎えるならばペットショップで買った猫ではなく、できればきょうだいでと思っていました。東京からは遠くなりますが問い合わせてみると、月に一度埼玉に行く用事があるのでその時にどうでしょうと返事をもらいました。そして深まりつつある秋の休日、無事に二匹の子猫を譲り受けることができたのです。

 



同じ親から生まれたのに毛色も体格も性格も全然似ていないキジトラの女のコと、グレーの男のコ。名前は麦と時雨といいます。猫先輩たちのアドバイスに助けられながら手探りの子育て期を乗り越え、今1歳ちょっと。麦も時雨も、すっかり我が家の主のような顔で暮らしています。

 



願って我が家に迎えた猫ですが、その魅力は一緒に暮らしてみて初めて実感することとなりました。自分たちのチャーミングさに無頓着でいる。自分の心地よさを優先する。嫌われることをいとわない。そのふるまいを目にする度に、自分らしくとかありのままでとか、人間界で多用される言葉の空虚さと、猫の暮らしにありありとみてとれるそれらの本質との違いに思い知らされるような気がします。

 



作家の吉田修一さんがかつて出演していたNHKの番組で、二匹の愛猫たちへ向けてエッセイを書いていました。彼は昼寝の楽しみにを教えてくれたのが愛猫たちだったことや、猫たちがありのままの姿で自分に接してくれること、そして自分もありのままの姿で彼らに接することに感謝を伝えています。

 

吉田さんはかつて文庫の解説を書かせてもらったこともある、公私に渡ってお世話になっている作家です。きっと私は吉田さんが飼わなければ猫を飼うことも、猫との(本当に彼が書くとおりだった)暮らしの喜びも知らずにいたと思います。そして猫を飼うというのに適齢期などないことにも気づかせてくれました。

 



これから巡るいくつもの季節を、遅れてきた愛猫家として暮らせる楽しみを毎日噛み締めています。