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その中でも親友になると思う様な一目惚れした彼女Yちゃん♥
小学校のPバレーで知り合った。私はバレー未経験者で下手っぴ。。Yちゃんは経験者。なのでYちゃんはセッターをまかされていた。
私はいつもバックを守っていた。Yちゃんは私に取りやすいようにいつも優しいパスをくれる。自分が変な体制になろうとも。。
そんな優しいYちゃんにCちゃん(私)は優しくて練習も楽しくしてくれて、明るいチームにしてくれてていつも助かってるっていってくれていた。
コーチは鬼コーチだけど私がいると変に和むらしい笑!
そう!あの時まさに私はケセラセラ人間プラス思考!超楽天家人間!!好奇心旺盛で気になる事にいつも積極的に関わっていた。
その為に私はのにちにキャパオーバーとなり凹み沈んで行くのだけどまたそれはいつか。。
私は忙しくて練習に行けないとの理由でPバレーを途中で辞めることに。。本当の理由は違うのだけれど。。それは隠して。。ただYちゃんにはそのうち話すつもりだった。。
辞めたのは12月だった。。毎年12月から3月まで繁忙期で私は仕事と家庭で忙しかった。。
4月。。YちゃんがPバレーをやめたとバレー部の友達から聞いた。病気で。。って!
すぐに連絡した。Yちゃんはまだ検査中でよくわからないのよ〜!って明るく話してくれた。でも病名は教えてくれなかった。
私もYちゃんが話ししてくれるまでなんにも聞かないでおこうと思って深くは聞かなかった。
その後私は学童のプロジェクトチームに入った為に仕事、家庭、学童、と忙しくYちゃんとなかなかランチにいけなかった。誘おうと思って連絡するとタイミング悪く入院中な事が多かった。なかなか私とYちゃんの合う日がなかった。。
最後に会ったのはその年の10月だった。
授業参観の時。。一緒に学校から帰った。その10分が最後の直接の会話となった…。
私は学童のプロジェクトが忙しく昼も夜も走り回っていた。
その次の授業参観、2月、Yちゃんは来なかった。来れなかった。その日、授業参観の事をラインして2人とも娘の大きくなった事を喜んだ。それが最後の会話となった。
4月また娘たちが一緒のクラスになったのでラインで連絡したが既読にならない。。嫌な予感がした。。
5月運動会。Yちゃんの旦那さんにYちゃんどうなの?って聞いたら。。、3月の末に亡くなったと聞いた。。
驚いた。4月に余命1年と言われた事、最後まで諦めずに闘っていた事、一度も辛い顔を見せなかった事を旦那さんから聞いて泣きそうになった。。辛い話をしてくれた旦那さんの前で泣くわけにいかないと必死でこらえた。。
誰も私にYちゃんが亡くなったと言ってくれなかった。。お葬式にも最後のお別れもできなかった事にショックを受けた。。みんな誰かが私に知らせるだろうと思っていたらしい。。
私は何ヶ月も悩んだ。。Yちゃんが辛くても力になってあげられなかったことを。。
そして短かったけどYちゃんとの思い出、話した事、をずっと繰り返し考えた。。
Yちゃんは私が忙しく話せなかったのでは、Pバレーをやめた本当の理由を感づいていたのではと。。その為に自分の事で悩ませたくなかったのだろうと。。
Yちゃんが私に教えてくれた。普通の生活がどれだけ幸せでありがたいことか。
私の旦那の事で悩んでる事も、Yちゃんはきっと言う。生きてるんだから頑張ればいいじゃん!私にはもうそれさえも出来ないんだよって。。
私が最近ケセラセラ精神を取り戻す1つにYちゃんの存在がある。小さい娘たちを残して亡くなってしまったYちゃんの無念さを考えるとなんて事もない気がする。頑張る事ができるのは幸せなことなんだと気付かされる。
亡くなってもYちゃんは私の親友。。いつもそばにいる。辛いときにふと出てきてくれる。
Yちゃん♥大好きだよ!!いつまでも〜。。
また逢おうね🌟
下手な文章、わかりにくいところもあったと思いますが読んでくれてありがとうございます〜。