私が小学生に入った頃から始まった躾という名の暴力。夫婦の仲は良かったと思う。ただ私がまわりの子と同じ事ができない、頭が悪い事でよく叱られ、殴られ、蹴られ、下着で外に追い出される。このパターンが毎月恒例のようにあった。

それは40年ほど前、まだ発達障害も今のように細かく診断はされなかった時代。知的レベルはあるため通常の子と同じ扱い、同じようにできるはずだと決めつけられていた。

小学生になると忘れ物、宿題、次の日のお支度、ができない。文字もぎりぎり書ける程度だった私は劣等生としてみんなから馬鹿にされていた。私はみんながなぜ家に帰って宿題をできるのかがわからなかった。私は連絡帳を見ると言う行為さえも家では忘れている。母親は仕事と妹達の世話で忙しくて毎日は準備を手伝ってもらうこともできなかった。
お支度、宿題ができてないのにできてると嘘をつくしかなかった。そして先生が連絡してきて父親に叱られる。何度叱られても同じ事を繰り返す父は更に激しく暴力をふるってきたし、外に追い出される時間も長くなって行った。。いつも反省するのにできなかった。。そしてそんな状況もあの時代はよくあることで、児童相談所みたいな機関がなかったと思う。あったとしても機能していなかったのでは?私は近所でも有名だった。でも助けてはもらえなかった。反対に家と関係を持つのを嫌うご近所さんが多かった。。。

私はADHDだったのだと今は思う。診断はしてもらってないが自己診断をいろいろして、本を読みまちがいないと気がついたのは30歳過ぎてから。。世の中が発達障害にいろいろ目を向けてシステムが作られてから。。あの苦しかった小学生活をもう1度、今の時代でやり直したいといつも思う。。わざとじゃないんだよ。本当にできない。本当にわからない、本当にかけない、本当に一生懸命。。だれにもわかってもらえなかった辛い小学校の6年間だった。。

それでもひねくれずに育ったのは楽天家でいつも最後に父に見つからないように何も言わずぎゅっと心も体も抱きしめてくれていた母がいたからだと思う。あれで救われていた。。

中学生編へ続くー。