【支配人の流儀】第4話:部下を叱れないリーダーへ:共感力(ENFJ)と「厳しい指導」のバランス | tt-nn-pp

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私は、部下の成長を心から願うリーダーです。

しかし、私のENFJ-T型特有の共感力の高さは、「厳しい指導」や「叱責」を避ける傾向に繋がります。

部下を傷つけたくない、彼らのモチベーションを下げたくない。

この思いが、時に必要な厳しさを欠いてしまうのです。

部下を叱れないリーダーが、いかにしてチームを導くのか。

共感力と「厳しい指導」の間の、絶妙なバランスについて語ります。

 
  • 「叱る」ことへの抵抗感

  • 共感と指導のジレンマ

  • 「主人公」が目指すリーダーシップ

 
 

第4話:部下を叱れないリーダーへ:共感力(ENFJ)と「厳しい指導」のバランス

 

1. 「叱る」ことへの抵抗感

 

私は、部下に対して常に「理解者」でありたいと思っています。

彼らが何に悩み、何に喜びを感じているのかを把握し、その個性を活かして働いてもらいたい。

それが、私にとって理想のリーダー像です。

しかし、支配人という立場は、時に「鬼」にならなければならない瞬間を求めます。

安全管理上の重大なミス、お客様の信用を失うような不適切な言動。

これらの問題が発生したとき、私は厳しく叱責し、改善を促さなければなりません。

ところが、私のENFJ-Tの強い共感力は、「叱る」という行為に極度の抵抗感を覚えます。

彼らの表情が曇るのを見ると、まるで私が彼らを裏切ったような、傷つけてしまったような感覚に襲われます。

この感情的なブレーキが、問題の根本的な解決を遅らせ、チーム全体の規律を緩めてしまうのではないか、と常に自己反省しています。

私は「嫌われたくない」のではなく、「部下を傷つけたくない」のです。

 

 

2. 共感と指導のジレンマ

 

 

仕事とは、結果を出すことです。

結果を出すためには、個人の感情よりも、プロとしての基準を優先しなければなりません。

しかし、私はこのプロとしての基準と、部下への共感の間で、常にジレンマに陥っています。

「叱る」代わりに、私は「共に考える」という指導法を取ることが多くなります。

部下がミスをしたとき、「なぜそうなったのか」「どうすれば次はないか」を、時間をかけて徹底的に話し合います。

これは一見丁寧な指導ですが、時にはスピード感に欠け、また、問題の深刻さによっては、この「優しさ」が甘えを生む原因にもなりかねません。

支配人として、私は部下たちの成長に責任を負っています。

本当の優しさとは、単に気持ちに寄り添うことではなく、彼らがプロとして一人立ちできるように、時には痛みを伴う指導をすることではないでしょうか。

このジレンマこそが、管理職の最も難しい部分だと感じています。

 

 

3. 「主人公」が目指すリーダーシップ

 

 

私は、この共感力の高さを捨て去ることはできません。

それが私の強みであり、部下たちが私に心を開いてくれる理由でもあります。

だからこそ、私は「叱れないリーダー」ではなく、「共感するが故に、成長を促すために厳しくなれるリーダー」を目指さなければなりません。

そのために、私は「叱責」を「期待の表明」と定義し直すことにしました。

ミスを厳しく指摘するのは、彼らの可能性を信じているからであり、彼らがもっと高いレベルに到達できると期待しているからです。

指導の最後に必ず、「君にはできる」というメッセージを添えるようにしています。

仕事とは、リーダーにとって、自分自身の感情をコントロールしつつ、部下に対する「愛情」と「期待」を、プロの基準で表現し続けることです。

私はこのENFJ-T型の特性を活かし、チーム全員が最高の主人公になれるような、温かくも厳しいリーダーシップのバランスを日々模索し続けています。

 

 

 

部下を叱れないリーダーへ。

ENFJ-T支配人が語る、共感力と「厳しい指導」のバランス。

部下を傷つけたくない優しさが、時に甘えになるジレンマとは?

「叱る」ことを「期待の表明」に変える私の挑戦。

管理職の皆さん、どう部下と向き合っていますか? 

#リーダーシップ #ENFJの悩み #部下指導

 

 

今日もやったろ!!