昨日、新学期が始まりました。

ベトナムの大学では12月末から1月初旬にかけてテストが行われ、そのままテト休暇に入ります。

大学もこのテト休暇中は完全封鎖となります。


私もテト休暇中の2週間は日本に帰国していて、9日(日曜日)の夕方便でハノイに戻ってきたばかりです。


昨日はガイダンスと授業が午前午後8コマありました。準備したとおり淡々と進み、私も随分気持ちが落ち着きました。慌てないで確実にやっていきたいと思います。


学生さんの様子も、故郷に帰って家族と過ごしてリフレッシュできたのかとても落ち着いていました。6月までバランスを取りながら良い雰囲気を保てるように見ていきたいと思います。


テト休暇中の課題については、ざっと目を通したところ、片付け仕事でやっている人は少ないように感じました。私が担当しているプログラムは2年半の間に国立大学の編入レベルまでにする必要があって、決められたカリキュラムをこなさなければなりません。そのためまとめや整理する時間が十分取れません。課題はそれを補うものなので、間違いの傾向や不足を分析してFBしていきます。


今日から、私自身もこれからの半年とは違い、自分の気持ちや仕事のより良い方法を考えてコントロールしながら進めて自分の成長にも繋げたいと考えています。


はじめてのベトナムのテト(旧正月)です。

テト前にテト休暇で帰国しているので、テトを迎える前の様子をお伝えします。


ベトナムではキンカンより少し大きいくらいの🍊の盆栽を旧正月では飾るようで、至る所でこれが売り出されていました。



よく見えないのですが、桃のようなピンクの花が咲く木に正月飾りをつけています。



街中では、正月飾りのほか、お年玉袋も売られていました。










ビルの中も正月迎える準備が1ヶ月も前から始まっていました。


ベトナム人はテトに限らず花いっぱいの生活です。

ただ生け花という文化はなくて、花器や剣山も見かけません。

壺にどさっと飾る投げ入れかアレンジメントが主流です。


お菓子やお酒の詰め合わせはどこに行っても山のように積まれていました。

左は1800円くらい、右は2500円程です。


ベトナム人の先生の夜の授業のお手伝いに行った時の書き初めです。

こんな赤い紙を使って書くんだそうです。


テト期間はお店も休業しているようで、現地の飲食店やスーパーの営業時間等についての情報が、日本人LINEグループで共有されました。


日本の正月の5倍以上にベトナム人の正月を迎える高揚感は強く、テトを楽しみに一年を過ごしているといっても過言ではありません。

日本にいる時に、ベトナム人の学生がテトで帰国してなかなか戻って来ず、出席率をみてヤキモキということがありましたが、今ではそんな文化に理解も進んだかなと思います。

家族が揃う貴重な時間でもあるテトです。私が働く学校も完全閉鎖中です。

「テトの思い出」についての作文を宿題で出してあるので、皆さんのそれぞれの感想がとても楽しみです😊



これは以前に投稿した写真です。
ハノイの家の近くの線路補修工事の様子です。
砂利をならす作業をこんなふうに手作業でやっているのが珍しくて撮った写真です。

ところが

@Hanoi


下の写真を見てください。


@日本


日本の家でもハノイ以上に線路が近いんですが、この写真は先日歩いている時見かけた光景です。

写真では紐の先のスコップがうまく撮れていないので分かりにくいのですが、ハノイの砂利ならし工事と同じやり方をしているんです。

ただ、だいぶ緻密さと力の入れように差がありますが…


取るに足らないことですが、世界中で電車の安全というのは、今でもこんなアナログな手作業の上に成立しているんだと小さい発見と感動がありました。


それにしてもこの作業は機械化が難しいんでしょうか?とも思います。



四半世紀ぶりの再会 in Hanoi

四半世紀ぶりの同窓会


私の家の大家さんと私は同じ大学の卒業生です。

つまり、大家さんはベトナム人なので、昔留学生だったというわけです。同窓会があるというので、大家さんが旧正月のテトの忘年会兼同窓会に連れていって下さいました。

今日は、大家さんとの出会いを振り返りながらベトナムの賃貸物件事情を少しご紹介したいと思います。


今でこそ留学生は珍しい存在ではありませんが、30年程前、私達が大学生だった頃は、優秀で選抜された人材が国を代表する留学生として日本に勉強に来ていたわけです。


大家さんを始め写真の皆さんは、私以外皆ベトナム人です。女性は皆、私と同じ大学の卒業生、男性は周辺の大学院大学に通っていたり、日本企業で研修を受けていたということでした。皆さん、ベトナム社会の要職に就かれて活躍されています。


留学当時からの付き合いだそうで、30年経った今でも年2回ほどこうして集まったり、アクティビティや旅行に行ったりしているんだとか。今回はその仲間内で結婚されたカップルの方のお宅の一室が会場になったということです。写真にはありませんが、床の間も設られています。床の間には日本の民芸品、掛け軸、日本酒一升瓶もありました。私のお土産「木曽漆器お猪口」も陳列していただきたいところです。

キムチ鍋をたらふく食べさせてもらいましたが、家族だけじゃなくて、死ぬまで続く大事な関係性があってうらやましい思いで気持ちも満腹です。私もそんな素敵な関係に少しあやかることができ、大家さんのはからいに感謝です。


さて、ハノイには2万人近くの日本人がいると言われています。ハノイで出会う日本人も、駐在員から絵本やそろばんを広めるためにやって来たという人まで多様な方々が各種のビザで滞在しています。


私の場合は、企業の社員ではなく、契約社員や派遣社員のような身分で、労働ビザを取得して働いています。

派遣元の規定で、家探しも自分でやらなければなりませんでした。渡越後、ホテルに滞在しながら、1週間以内に家を探して契約する必要があるため、家が決まるまでは不安で夜中に目が覚めてしまう程でした。

ただ、ネットで家も探せる時代なので、先に物件を決めて来る人もいます。ハノイは地区ごとに雰囲気が日本以上に違い、交通の便や衛生環境など、やはり「百聞は一見にしかず」で知人も状況がある程度読めるようになってから住み替えをしました。でも単身なのでそんな風に気楽に考えてもいいのかもしれませんね。


私は事前に下調べをしていなかったので何軒か内見するも、条件と値段が折り合わずなかなか決断できずにいて焦りました。

そんな中、不動産屋の真面目で日本語が話せるトイさんが今の家を見つけてくださって、契約に至ったという次第です。トイさんは日本に住んだ経験もありいい加減さがない信用できそうな青年だったので、「トイさんから絶対家を借りるから」といって私の家探しに付き合ってもらいました。今後後任の方が来た時には、トイさんをオススメします。


大家さんとの出会いに話を戻します。

契約後の雑談でたまたま大家さんが日本とのゆかりを話し始めて、私達のご縁を知ることになったのです。何も分からず始まった海外生活で大家さんとの出会いは心強いものでした。

私達は女子大の出身ですし、マンモス大学ではありませんので卒業生の絶対数も多くはありません。もう不思議な力が働いていたとしか思えません。

さらにその日の夜に、大家さんの当時の指導教官を知っている大学の友人からたまたま連絡をもらい、鳥肌が立ちました。


こうして私のベトナム生活は、大家さんを始め色々な方々のお陰で営めています。当たり前だと思っていたことは実はそうではないんです。当たり前のことを忘れてしまうので、時々停止して後ろを振り返りたいと思います。

「先生」

用事もないし

たまたま

何が売ってるのかなあと

フラッと入った

コンビニでの出来事


家からも勤務する学校からも

離れたとあるコンビニで

声をかけられました


日本語?

今、日本語で呼ばれた?

エッ⁉️

最近物忘れが激しい私ですが

さらにおかしくなった?


しかし

周りを見ても黒いマスクの

このお兄さんしかいません


最近

記憶が鮮明にパッと出て来ずに

ジワーッとしか思い出せない…


モヤモヤ時間⏰


あーそういえば

10月の試験で基準点が取れずに

failしてしまった学生だ


色々事情があるんだと

改めて感じた再会でした