注:これは独りごとのようなものです!
わたしは10代の頃から感動がり屋なところがって、
感動すると影響を受けやすく、すぐ好きになってはまったりしていて。
同級生が東京の大学に行き、広告代理店に就職して
その後に会った時にお互いが観てた映画の話になって
『あそこのカメラワークが…』
『あれは過剰演出だよね…』
なんて彼女が言って
その時わたしは初めて、カメラワークとか過剰演出とかいう言葉に出会って。
何か分かんないけど、めちゃめちゃそれが通な感じで、お洒落で分かってる風にみえた。
とても彼女がカッコよかった。
それから、私は別の友達に同じような言い回しをしたりしてた。
真似して。
カメラワークとか、過剰演出とか、そんな今まで知らなかった単語を使ってた。
でも、そんな通ぶった言葉を使わなくても、その映画は、私は楽しめていた。
その監督や脚本や俳優の裏話を知らなくても、ちゃんと、わたしは楽しんでいた。
知らなかった頃の楽しさはちゃんとあった。
何も知らなくて観た映画なのに、次からはカメラワークを気にしたり、演出を気にするようになった。
時間が経って
そんなの知らなかった頃の楽しめた気持ちを忘れたくないなぁとも思い始めて。
裏話を知って、楽しめなくなることが何となくあるんだなと、知っていった。
他人が感動した話に感動して
自分の感動のように思うのは嘘だ。
気持ち悪かった。
それからは、人が使ったすてきな言い回しやかっこいい文字の並べ方とか
極力、真似しないようにした。
できてないこともあったかもしれないけど
知ったかぶりをしてたかもしれないけど、
たくさんの本を読んで、映画を観て、ドラマを観て、感動して心を揺さぶられて
それについての解説や、普段は耳にすることのないコンセプトや裏話的なモノや
そういうのを今では霜田さんから聴くことも多いんだけど
(またはメイキングや書籍や、監督・俳優、ご本人からなどなど)
それは霜田さんの感覚で出た言葉であって
またはその主要に絡んでる当事者からの言葉であって
わたしがあたかも過去からそういう思考だったかのような気持ちになるのだけは
阻止してた。
知らなくても得た感動もちゃんとあるし、そっちが劣ってるわけでもないし
知った後で知らなかった感性に戻れないのは嫌だなと思った。
大切にしたいな、と。
で!
なにに気づいたかと言うと、
これって霜田さんの『おとな童貞マインド』のコンセプトに似てない???
なんだか、
とっても近い気がして、わたしが大事にしようとしているもの(感性)と。
それって、霜田さんに出会う前から思っていたことだし
霜田さんを好きになったのはそこからではなかったし
それでも、チェリーのコンセプトや、霜田さんが『おとな童貞』について
語るところも十分知ってたはずなのに!
数年シモダーやってて
今気づいちゃって。
もうこれは、惹かれるべくして惹かれてたんじゃないかなって。
そう思うともう霜田さん好きになるって必然だったんだ!!!
とメチャメチャ感動が止まらない!!
あぁ誰かに言いたい!!
霜田さんが大事にしてるものと
わたしのそれは
近い場所にあった!!
なんていうか、すごい人が語っていることを、あたかも自分がオリジナルで
そう思ってたかのように人に伝えたりしたくない、
知ったかぶりをしたくない、
特に感性の分野に関しては絶対にそれはしたくない、と
わたしは、ただの一般人で、映画や書籍やドラマを『観る側』の人間と言う枠から
一歩も出ることもない状況で
だからそこで得た感動は、一般人の無知な状態での感動で
それ以上にはならないと。
そこを大事にしたいのに、すてきな『作る側』に近い人の感性に触れて
そこで得た感動は自分のものだけど、憑依してるかのように
感動したくないというか。
一般人の感動、=童貞性、て感じで、
たくさん好きな映画や小説やドラマの事を調べて、その後に感じた気持ちも
もちろん同じように尊いんだけど。
受け売りを、オリジナルに誤発射したくないというか。
ちょっと違うかな?
でも、そういう、無知な頃の感動って、無知でなくなったときに消えてしまうのは
違うなぁとも思っていて。
知る前には戻れないかもしれないけど
忘れないようにはできると思う。
言葉の使い方ですてきだなと思うと真似したくなってしまうけど
それはしないように。
わたしは童貞性を忘れないように生きていきたいなって。
感動が多い人生だからこそ。
なんて思ったのでした。
