“ナニよ、たかが象のくせして。わたくしはバリ島にバロンダンスある限り、永久に悪キャラだわ。ホノボノ感?ないわよ、ま、イイけどね。ウリが生まれが違うんだし。わたくし、もと王妃よ”。
初めて観た日本人のお子ちゃまに“コワイ~”とか、リピーターには“今回の、とくにヒステリックだった”とかいわれ、“キレイだった”“素敵~”とはまず言われない、、、魔女ランダ。悲劇の王妃、なんですけどね。
11世紀前後からバリに栄えたワルマデワ王朝第四代王、ダルマウダヤナとその息子エルランガ。両者とも、バリとジャワの関連史に英邁な君主として名を残しています。
東ジャワでは当時、シンドク王が覇権を確立。ダルマウダヤナはシンドク王のひ孫、マヘンドラダッタを妃としてバリ島に迎え、両島間の対立による政情不安を一掃。妃との間に3人の息子をもうけ、長男エルランガと東ジャワ王家との養子縁組を締結。エルランガはやがて王位につき、クディリ朝を新興。数百年の繁栄の礎を築いています。
一方、バリではダルマウダヤナ王からその次男、末息子へと王位が継承され、王朝は安泰。しかし王妃は、、、王の死後後を追う、という当時の慣例に従わなかったばかりに身分剥奪。石もて城を追われ、人々から忌み畏れられる森の魔女ランダにされてしまったんですね、グヌン・カウィ最大の陵墓はダルマウダヤナ王のもの、その妃の墓は、、、ない。
■グヌン・カウィ/ワルマデワ王朝第6代王家の陵墓。
バリ島観光はヒロチャングループで決めよう