地味に波乱万丈~あの日、私達は確かに家族だった~

地味に波乱万丈~あの日、私達は確かに家族だった~

父親の失踪をひとつのスタートに、振り返る日々のこと。
ちょっとした考え事や日常のことまで、日々を残します。

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「父と連絡が取れなくなった」と、母から聞きました。


実は3月にも一度、連絡が取れなくなった時期がありまして、

その事もあって、あまり心配ではないというか、楽観視していました。


そのうち、連絡が入るだろう、と。



一度あったら軽視していたって、どういうことだ?


と、思う方もいるだろうとは思いますが、

私が中学1年生の頃まで、確かに父は家にいました。

その年の夏、火事が発生し、家がほぼ全焼。


母方の祖父母宅に一旦は身を寄せ、暫くしてから

現在の家に移りました。


そこから、父がまともに家に帰って来る事はありませんでした。


理由はひとつ「仕事だから」でした。

母は更に何らかの事情を聞かされていたかとは思いますが、

(母に改めて問い直す事はしません。今後、ここに書く事も母が教えてくれたこと、私が感じたこと・見た事が中心です)


私達兄弟は、父親の機嫌を損ねる事が一番厄介であると考えていたこともあり

あまり深く追求する事はせず、市内のマンションで生活している事だけを知っていました。



とはいえ。


一ヶ月に一度は帰って来ていましたし、

夏休みは旅行にも連れて行ってくれました。


下の子たちがねだれば、お小遣いもくれましたし

各自の誕生日には、何とか都合をつけて帰宅し、外食に連れて行ってもくれました。



旅行中に突然キレては、いきなり帰ってしまったり

私が幼稚園の頃には、何もせずにずっと家にいるなど


少々問題のある父でしたが、優しい一面もある父でした。

(と書いたら、だめ男の典型とだめ女みたいな感じではありますけどね…!)


好きか嫌いかと問われれば、

一番傍にいた時期は、私自身が反抗期・思春期だったこともあり


明確に、こうだという答えは出せません。

今でも振り返ると、当時の気持ちと現在の気持ちと、成人してからの思いと

それぞれが絡み合って、結論が出せません。





なので、その話は一旦置いておきます。







今回、このブログを書くにあたって

扱うテーマ上、家族の構成などをちらっと書いておきます。


私は5人兄弟の長女で、上には10歳ほど年の離れた兄がいます。

2歳下には弟、更に6歳下にもうひとりの弟、そして9歳離れた妹がいます。

下の子は、それぞれ大学3回生・高校1年生・中学2年生です。



メモ程度ですが、また後ほど追記していきます。