「神社参拝のメリット・改」
名前も住所もいらない。願い事も必要ない。
ただ感謝しに行くのみ。
感謝したいなと思ったときや、これといって感謝することもないけど散歩がてらご挨拶でもしようかな、と気楽な気分で参拝する。
目に見えないけどなんとなく感じる神様的な存在に、最近の幸運なできごとについて感謝する。なんかよくわからんけど自分の実力とは無関係な運の良さに対して。
神様の恩に感謝している最中、心は穏やかな幸福感に包まれる。
この「穏やかな幸福感」こそが神社参拝のメリット。
反対に、願い事は欠乏感を強化する。
住所や名前を告げることは"自分だけに何かいいことが起こりますように"という自己主張の現れ。自分が神様だったら、そんな奴に何か良いこと起こしてあげようなんて思わんよね。
感謝の対象は神社じゃなくてもお気に入りのパワーストーンでもいいし、ご先祖様でも、我が子でも、なんでもいい。
地元の氏神様は感謝の対象にしやすいから、そういう場所として利用させてもらってる。
全国の神社に回って、神社ツアーや遠隔参拝で稼がせてもらったけど、その恩恵は何もなかった。
自分自身の決定的な悪手によって、人生はクソみたいな状態になった。神様なんて関係ない。すべては自分で引き起こしている。
それから信仰も参拝も捨て、ただただ現実が良くなるように手を尽くした。冷静に辛抱強くコツコツと。
近頃それらが実を結び始めた。人の心というものは身勝手なもので、成果が出始めると、また目に見えない存在に感謝したくなってくる笑
アホやな〜と自虐しながら感謝を伝えに参拝しに行くと、これがまた気持ちいいのなんの。
子供の頃のような純粋な気持ちにしてくれる。
それだけで充分。
余計なことはやめよう!w
それらを祓い清める場所なんだから。
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かなり無責任な言い草ですよね。今まで散々「運気アップ」やら「金運爆上がり」と宣ってきたくせに、思うような成果が得られないとなると、それらをすべてぶち壊す。
つぐつぐ身勝手やな〜と思います。
すべてのスピリチュアル的なことを疑い、批判し、吐き捨ててきましたが、それでも、心の中に残っているモノがあります。
すべてを捨てたつもりになり、スピリチュアルに対する拘りが消えた頃、ふと氏神様に参拝したくなりました。
拝殿で手を合わせると、冷たい風が吹き、すべてを赦されたような気になりました。
気持ちいいというか、癒されるというか、愛に包まれるというか。
表現しにくいですが、自分の中にある透明感を思い出させてくれます。
今までこのブログを読んでくれた読者の方々、セッションや遠隔ヒーリングなどつむつむの商品を買って下さった方々への責任を果たすべく、なんて綺麗事を言うつもりはありません。
これもまた自分のための身勝手な備忘録でしかありません。が、スピリチュアルで痛い目を見たけど、いまだ心に何かが引っかかっている、そんな方のお役に立てればと。
