A day of ... TSUTCHIE!! -144ページ目

飼いブタ

今日の最終配送先では、ギャンギャン吠えるクセして直ぐ逃げるバカ犬軍団がいる家のその向かいの家では…、



黒いブタがブッブッブッブッと唸っていた…。



そんな黒いブタを見て一句…、









キミの横顔 ボンレスハムみたいで おいしそう




字余り…。













ケッキョク、ヤサシサヨリモクイケカイッ!!・・・(゚゚;)\(--;)

唯一の親友

初期状態

昨日引いてしまったような感がある、風邪ひき・・・。



薬を飲んで、睡眠を摂って用心したおかげなのか、何とか、初期状態で治まりました・・・。




でも、薬が効いているせいなのか、体がムチャ怠くて、眠いです・・・(^_^;)



まぁ、風邪をひいてしまったから、仕方がない事ですけどね・・・。




・・・で、明日は僕がサポートドラムをしているバンド、パン★ツィ~ンが西日本大会に出場するため、岡山へ行くとの事・・・。



僕の方は、この時期の事情の為、参加することができず、naruさんが代わりに参加します・・・。



明日の朝早くから行動する様ですので、結果の如何は関係なく、頑張って、そして、楽しんで来て欲しいと思います・・・。




僕は外で見守りたいと思います・・・。

風邪かな・・・?

今日から盆明けの出勤・・・。



配送は1軒のみの配送だったので、社内でクルマの洗車を3台、パレットの大破壊をしていました・・・(^_^;)



午前中はとにかくクタクタ・・・(@ ̄Д ̄@;)




午後も何かと外での作業で熱中症になってしまいそうな位、汗を流しました・・・。




その中で夕方あたりから鼻水が止まらない・・・。




ひょっとして・・・、




風邪の前兆・・・!?





あぁやだ・・・。




パレットの大破壊で、何だか手首にミョ~な違和感・・・。



もうやだ・・・。




どないかして早よ治そう・・・。

音楽とエゴと嘘つきと⑦

あれから、2012年9月にブログを通じて知り合った方とリアルで会おうと、福島にあるカフェバーに行った。


そこでは、ブログを通じて集まったメンバーが参加していて、音楽のことやいろんな話をして盛り上がった。


その後、7ヶ月のブランクがあり、2013年の4月にブログの仲間と再会した。



再会すると、ブログ仲間との間でバンドの事を話していて、僕は端から遠巻きに話しを聴いていた。


そして、そのバンドのバンマスをしているギターの方から、話が持ち上がり、僕が過去にドラムを演っていた事、バンドのドラマーが不足(居ない)している事などを聞き、バンドに参加して欲しいとの要請を受けた。


だが、僕にとっては20年前に起きた、メンバー同士のいざこざや対立と確執があった過去の事を思い出し、トラウマになっていた事もあり、正直なところ、参加すべきかどうか悩んでいた。


でも、ドラムのイメトレばかりしている様では、いつまで経っても成長しない、演るんだったら、今しかない!



・・・と感じ、サポートとしての参加を決めた。



あの出来事から、20年が経った、2013年の今、パン★ツィ~ンのサポート・ドラマーとしてドラムを復活した。



5月に今まで埃を被って眠っていたドラムやスティックを引っ張り出し、久し振りに荷物を担いでリハーサルに向かった。



演奏の出来具合はまだまだ発展途上な状態で、上手くいかない事が沢山あるが、あくまで趣味でやっている事、楽しくやって行きたい事、気長な気持でやって行きたいと思う。



今は曲を覚えるのは1~2週間でできるので、通常は基本練習のみで家でスティッキングをやっている。



まだまだ、応用できる所は沢山ある事に気が付いているので、じっくり、焦らず、これからもやって行こうと思う。



これからは、どんなストーリーになっていくか・・・。




期待と不安、そして・・・楽しみでもある。














おわり








※このお話は、僕がドラムを演っていた頃に実際に起こった事を赤裸々に綴った、ノンフィクションで、話に書いた場所や人、バンド名は全て実在していたものをそのまま書いています。

音楽とエゴと嘘つきと⑥

1992年の夏場に住道にある企業のグラウンドである企業の夏祭りの一巻として野外ライブをする事になった。


この日もHはかなり神経質になり、事如く僕に怒鳴り当っていた、僕にスケジュールを強要しているのにも拘らずだよ!!


ステージセッティングは難なく終り本番もスムーズに終るかの様に思えた…。


だが最後の曲になりベースと僕はイントロをカマしFは少しのギターソロをカマして曲の本編に入るが、入るべき所にギターは入ってくれない、何かに陶酔しているかの様な中途半端っぷり、何とかギターは入ってくれたものの、ギターの中途半端なプレイに怒りがピークに達していた。


このままFにスティックを投げ付けてステージ上で殴り合いの喧嘩をしてやろうかという所まで来ていた。



本番前には僕に侮辱するわ涙が出そうな位だった。


本番後、Fに対してひと言…、




お前とはやっとれんわ!!




…と捨て台詞を言って帰ると同時にバンドを辞めた。





また彼はオリジナル曲に関してもやはり嘘を付いていたのが、たまたま購入したCDでハッキリ判った。



そのオリジナル曲は実はレイジーの曲であった事。

彼がレイジーに関わったと言う話はウィキペディアやバンドの関連サイトを調べてみて、全く関係が無いと言う事。


音源の音の歪み方が全然違う事。


また、それらを自分が関わったかの様に他人に言い触れているのだから、開いた口が塞がらない!!



彼は後に長年のリズムパートナーであったベースの女性と結婚したが、散々振回した挙句、2年前に離婚した。



ベースの子とは現在、メールや電話をし合っては飲みに行ったりしているが、Fとは人間関係を自ら完全に切ってやった!!





今、僕はFとは関わりが無かった頃に演っていたバンドのオリジナル曲を譜面に起こすべく、ギターを買い練習をしている。


また、ドラムについても常にイメージトレーニングやフレーズ打ちの練習を欠かさずに演っている。


復活まで何時の事になるやら…。







続く・・・。

音楽とエゴと嘘つきと⑤

1991年の秋頃にFがリーダーとするバンドに加入する事になった。

Fとは音楽性が正反対だと言う事は既に先述した通りだが、リハーサルを重ねる度にFと事如く対立してしまう。

それは演奏や音楽だけに限らずスケジュール、セッティング等の段取り、性格の事まで…、当時引っ込み思案気味だった僕に強要し、Fが間違えている事を自分が正しいんやと言わんばかりに僕自身に正そうと強要したり…と、自分自身がバンドをやる事が嫌になり、バンドのリハーサルよりも仕事をしている方が気楽だったりする事も結構あった。


途中からオリジナルを演ろうと言う事になり、2曲分収録したテープを貰い、練習をする。



だが何かがおかしい…、




音源とFが実際に弾いているギター音源とのギャップが一聴して判る位、全然違うのだ。


その音源については後述する。



また、僕自身が密かに演り始めている別バンドで一緒にプレイしているギターの子と合同リハーサルした時の事。


エフェクターなしで直ぐにセッティングが終わり準備万端なギターの子や僕に対し、Hはいつまで経っても段取りが終わらない。

ギターの子はFのやり方にかなりイラッと来ていたらしく、Fに殴りかかる所まで来た。


演奏もギターの子は速弾きを難なく弾き、僕らをビックリさせてくれたのに対し、Fの方は心なし何だか力不足ですら感じた。


それどころか、Fのセッティングの煩わしさ、遅さにかなりイラッと来だしていたのも確かだし、情けなさすら感じた・・・。



正直な所、Fのバンドに対する情熱はこの時無くなってしまった。

更にHはギターの子の演奏に関し…、



こんなのマスターペー○ョンだ!!



…と言って退けている・・・間違いなく、ただの言い訳だ。




弾けもしない事を棚にあげてだよ!!



何て情けない野郎だと感じたのは言う間でも無い。



1992年の夏場に住道にあるグラウンドである企業の夏祭りの一巻として雨中の野外ライブを演る事になった。



続く…。

音楽とエゴと嘘つきと④

自分自身のバンドはライブ参加してから、あっと言う間に解散してしまった。


だが、止まる事が無い僕は色々なバンドにセッション参加しつつ、バンド探しをし、2ヶ月後には関学生のバンドに参加。

関学の文化祭でライブを演り、その年の年末に十三のファンタンゴでライブを演った。


その頃辺りから僕のドラムセッティングに変化があり、初期から自身のバンドの頃までは2バス(バスドラムが2台あるモノ)からツインペダル(見掛けは1バスドラムだが、2バスの感覚で演奏できる)へと変わり、フレージングも音数が多いタイプに変って行った。


そこからまたスラッシュメタルや速弾きギター系のメタルなど、色々なタイプのバンドにセッションしながら、先述したFのバンドに参加する事になった。



続く…。

音楽とエゴと嘘つきと③

掛け持ちライブ等で少しずつドラムに自信を付けて行った僕は、自分自身で動かしていくバンドを結成すべく雑誌や京阪神の楽器店巡りをする事になった。

一つはバンド加入で京都を拠点に活動する女性が中心となった、METALLICAのコピーバンドで、当時居たメンバーの中には、後にヨーロッパのレーベルSpinefirm(日本では”マーキー・インコーポレート”)と契約する事になる大阪のメロデス・バンド、SHADOWのヴォーカリストとして現在も在籍して活躍している。


彼女は、今でこそ和製”アンジェラ・ゴソウ(※)”と呼ばれているが、僕と一緒に演っていたころから、デスヴォイスで演っていたので、この頃から現在のスタイルの片鱗を見せていた・・・のだと思う。

だが、このバンドは、リハーサルは演っても、ライブ出演にまで話が進まないまま、結局、解散してしまった・・・。


でも、僕のリーダーバンドは着々と進み、自分が演ろうとしている音楽と合っている人に巡り会う事は難航したものの、1年半かけた平成元年の1月8日(元号が変った、平成元年の初日)に、何とか、自身のバンドがスタートした。




メンバーは大阪の南北から集めたので、梅田や難波のスタジオでリハーサルを重ねステージを踏む準備をしていった。



この時期は後に僕や他のメンバーとの間に深い溝を作る事になるFと言うヤツと出会う。


Fは僕と出会う前からインディーズのバンドで44マグナム、マリノ、メイクアップ等の幾つかのサポートで全国を回った経験があるらしく、リハーサルの際もラック式のエフェクターを持ち込んでリハーサルに挑む程の熱の入り様だ。

だが、音楽性は全くの逆で僕らが演っているものが大嫌いで参加する意思もなく、いきなり全然違うモノを演らせ様としていた。


除け者にする事は僕の神経が許す訳にはいかず、息抜き程度で演る事になった。


そして、その年の3月に大阪ミューズホールでライブを演り、またビデオ撮影もした。


その後、音楽関係の糸が切れたのか、直ぐに解散してしまった。


だが、このメンバーに限っては今も友達としてずっと続いている。





Fを除いては・・・。




続く…。

音楽とエゴと嘘つきと②

僕はバイト先で知り合った仲間の友達からの誘いを受け、初めてバンドに加入した。



だが演る音楽はアースシェイカーのコピー演奏だが、バンド名こそ聞いた事はあるものの、曲は全く解らない。


しかもテープなしでいきなり譜面を渡されたものだからリズムパターンはある程度理解できる様にはなったものの、曲のイメージが浮ばない…。



どうしようもないので、テープをくれ!…と言ってそれらの曲が入ったテープを貰い、曲を聴きながら譜面を見て、直ぐに譜面が読める様になった。



それから堺の三国ヶ丘にある練習スタジオで夜遅くのリハーサルを重ね、翌年の夏と秋に堺駅南口にある今はなきライブハウスJURIでステージ経験を踏み、2度目のステージでは大入りでギャラが入った。


その当時は学校の同級生が誘いもしていないのに偶然会って、僕がバンドでドラムを演奏しているのをビックリしていた事もあって、良い刺激でもあり、楽しかった…(*^_^*)


また、翌年は当時バンドとは別のバンドで合同リハーサルをしていた所から掛け持ちできるか!?との誘いが…。



たまたま僕が演りたかったパワーメタル系のバンドだったので、即参加した。



だが、学校、バイト、バンドの掛け持ちで更に忙しくなって来つつも、1987年の夏場にまたまた"JURI"で掛け持ちライブを経験し自信を付けて行った。



翌年からは僕自身で動かしていくバンドを結成すべく雑誌や京阪神の楽器店巡りをする事になった。




続く…。