阿部サダヲ。

大好きなんだよね〜うんうん

 

舞台でも映画でもテレビでも

最高なキャラクターだと思うのです。

が、今回のこの映画では

サダヲにキュンキュンしたわ、私akn

ていうか、なんか初っ端の

ライブシーンを観てたら久々に

マリリンマンソンとか聴きたくなったakn

 

結構、ハードでグロい系のボーカルのSHINが

ステージではない時に見せるふとした表情が

最高に、キュンキュンするんですけど〜sei

 

吉岡里穂が演じるふうかに

「やらない理由ばかり探すんじゃね〜。」

って言うんだけど

それがなんかね〜。

自分に言われてるような気がしてね

「あ〜!!」ってなる。

 

ど〜してもさ

何かをしたいけれど、

失敗したらどうしよう。とか

出来無さすぎる自分を直視するのが怖くて

とかさ、まぁ、色んな理由は、あるけど

そこから逃げる理由をさ

色々と作っては、そこに向かうことを

避けていることなんて

みんな、経験あるし、

なんなら、今も経験している。

 

でも、それってさ

結局、自分でその部分に向き合わない限り

前には進めないんだよね〜。

 

わかってるよ、わかってる。

けど、逃げたいのだよ。

そういう時には、客観的に

自分と同じように逃げている人を見ると

自分の行動を省みることが出来たりするから

こういう映画観るのも

ありなのかもなぁ。なんて思います。

 

最後の方は、なんか壮大なラブロマンスと

夢叶えちゃう系の映画に

落ち着いていくのが

これまた面白かった〜ラブラブ

 

結局、自分ってどんな人間で

どんな風にしたら、自分自身の足で

進んでいけるかはてなマーク

見つけることが出来たら

それが一番なんだよなぁ。と思うのでした。

 

 

ホラーとか、モンスターパニックものとか

もう、全くの苦手分野で

基本、グロいの無理。

 

ちょっと前に話題になった

「カメラを止めるな」でも

映画のゾンビ部分は

ほとんど耳を両手でふさぎながら

目を軽く閉じながら観てたくらい苦手。

 

だからね、この映画が出た時も

「あぁ、またゾンビものか。」

と思って、スルーしてたんだけどね〜。

 

トッケビでコン・ユにハマって以来

コン・ユの出演作品を全部観ている流れで

やっぱり、出演作は全部観たよねはてなマーク

となりまして、観てみたら

なんと、面白かったのですよ〜グッド!

あぁ、コン・ユかっこいい照れ

 

予告はこちら下矢印

 

なんかね、ゾンビものがグロくて怖くて

見れない私にも、みれるくらいのグロさで

そのゾンビの怖さもだけど

どちらかというと

人間の心理的な怖さの表現も

ちょこちょこあったりしてね。

 

人って、何か危険が迫ると

自分の保身の為にしか動けなくなる様子とか

その保身に走る人の周りにいる

普通だった人達も

その感じに流されて

ひどい方に、簡単に流れて行っちゃう感じとか

そういう、人の弱さみたいなものも描いてあったり

 

人の暖かさというか

優しさや絆だったり

何かを守りたいと思う気持ちとかを

見ることが出来る瞬間もあったり

 

何より、自分や自分の家族さえ

大丈夫であればいい。

と思っていた自分勝手な主人公が

色んな危機を周りの人と乗り越えて行ったり

ついさっきまでの自分を観ているかのような

利己的な人間の様子を観て

だんだんと変化していく様も

そこそこ丁寧に描かれているので

人間ドラマも楽しめたりします。

 

 

けどさ、これさ

がっつりネタバレになるけれど

普通さ、主演級の人ってこういう映画では

死ななくないはてなマーク

 

なんかさ、最後の最後で

コン・ユがあっさり死んじゃって

ちょっとびっくりしたさ。

 

「え、ここで死ぬんはてなマーク

ってなりました。

 


意外と面白かったので
興味ある方は、観てみてね〜。

っていうか、出演している
筋肉むきむきの俳優さんって一体何者はてなマーク
と思って調べてみたら
韓国系アメリカ人の俳優さんだったビックリマーク

高田延彦かと思ったよ〜あせる

 

 

 

 

昔、大好きだった人に

突然、別れを告げられた時

どうにかして関係を修復したくて

電話してみたりしてみた。

けど、何したって修復出来なくて

そのまま、別れたことがある。

 

そして、ある日突然、雨と共に

彼の家に残していた荷物が、送られてきた。

 

あの時のあの寂しさとか

一種、自分のその状況に酔っていた自分を

思い出した。

 

好きで好きでしょうがなくって

でも、どうにもならなくて

なんとか諦めて、自分の人生を前に進めて

別の人に出会って、今は幸せで

確かに目の前の人を大事に思っていて

大好きなんだけど

きっと、私も、あさこと同じように

彼が目の前に現れたら

同じことをしたい。という衝動にかられると思う。

ただ、それを実行するか?と言われたら

多分しない。

だって、それをすることがどんなことなのか

どんな結末を迎えるか、

なんとなく想像が出来てしまうから。

 

だってね、あの頃とは違う時間の流れの中で

2人で築いてきた沢山のことの上に

私の時間は流れていて

「今」の私にとってはそっちが大事だから。

 

でもきっと「あの頃」の私は

それには耐えられない。

多分、悲しい。

「あの頃」の私は、今目の前にある

自分が1番欲していた存在を全力で手に入れにいく。

だって、1番欲していた存在だから。

 

でも「今」の私はしない。

いや、出来ない。

 

だからきっと私はこの映画を観て

心が揺さぶられたんだと思う。

 

あの頃、自分が恋していた相手が

たとえ目の前に現れたとしても

その人を選ばないと思ってはいるけれど

実際に、そんな場面に遭遇してしまったら

心が、いや体が揺れてしまうと思うから。

 

でもね、やっぱり、「今」の先に続いている

「未来」を大事にしたいなぁ。と

思ったりもするんだなぁ。

 

そんな心の揺れを楽しむ映画だった。

 

今の私にとっては、一体何が大事にしたいものなのか?

を改めて考えさせられた映画だったなぁ。

 

あとね、仲本工事が最高だったわ。

あの朝子を駅で見送る時のセリフ

あれが、本音だよね。

 

でも、そんなのも全部、

モヤモヤしながらも

信頼できないと思いながらも

日々の営みを一緒に営んでいくうちに

あぁ、あの時は、とんでもない選択をした

目の前の人だけれど

こうやって今、目の前にいて

一緒に時間を過ごして、お互いが心地よい時間を

過ごすために、労力を使っているのを見ていくうちに

きっと、信頼度がまた増していくんじゃないかなぁ。

 

あぁ、でも、心底の信頼は戻ってこないかも。

いつもは忘れているけれど

ふとした瞬間に、この人はまた私を裏切るんじゃないか

って不安と共に生きていく。

っていう覚悟を何度も試されるのかもしれないなぁ。

 

でも、その不安を

一緒に乗り越えていくしか

信頼を取り戻す。というか積み上げることは

できないのかも。とも思うのです。

 

いや、もしかしたら

目の前の人が、また自分の前からいなくなったとしても

自分は、その時に一緒に居たい。という選択をして

一緒に居る時間を、楽しんだから

もう後悔はないよね。って感覚かな。

相手を信じる信じないではなく

その時一緒にいることで自分が感じたこと

それは真実だもん。それでいいじゃん。って感じというか。

 

あの時は、一緒に居ることをお互いに選んだけど

それは、今日も明日もこれから先もずっと

必ず続くものでもないし

だからこそ、今、一緒に居る時間を

存分に楽しもうよ、一緒に。

って感覚なのかなぁ?

 

にしても、なんだろ、あの挿入曲の昭和感!!

いや、違和感??

なんて言ったらいいかなぁ?

あの心地悪い中にも心地よさがある感じの

不思議な音楽だったなぁ。

多分、あの一種の心地悪さみたいなものが

自分の過去の痛い恋愛を思い出させる。というか

今じゃない過去感を増長させている気がするな。

 

もうほんと、久々に自分の心の中にある衝動と

自分の中にある大事にしたいものとことと

そんなんを、全部、ザザーッと

撫で回されたような映画だったなぁ。

 

Movie寝ても覚めても

 

 

今日の映画はコチラ

映画ブリグズリー・ベア

 

あらすじは、上記のサイトに飛んで

確認してみてね〜ニコ

 

ここからは、がっつりネタバレしながら

私が感じたことを書いていくので

まだ観てない人で中身が知りたくない人は

読まないでくださいまし〜「ハイっ」の手

 

主人公は、両親と2人だけの世界で

そこまで不満を持つことなく

成長し、生きてきてたんだけどね

ある日、その両親が、犯罪を犯して

自分を誘拐して、連れ去って

育てていたんだって、知るの。

 

警察に捕まってしまった両親の元から

本当の両親の元に戻るんだけど

彼らからしたら、犯罪者である2人は

彼からしたら、悪いことをした人ではなく

ついさっきまで、自分の両親だった人なの。

 

その人たちと過ごした時間は

苦痛だったり、不安だったりしてことはなく

毎週送られて来る「ブリグズリーベア」に

熱中できる時間があり

その話を聞いてくれる両親がいた

幸せな時間だったんだよね。

 

でも、それを

今の両親は否定するの。

だって、自分たちに長年苦痛を与えた人たちだから

まぁ、当たり前の反応ではあるんだけど

それが、彼には受け入れがたいこと。

 

彼の精神的な部分の診察をしている医師も

その考えの側から、彼がやることなすことを見ているから

彼が、ブリグズリーベアの新作を撮ろうとすることも

過去への逃避だったり、洗脳が解かれていない。

という現実として捉えちゃうんだよね〜。

 

でも、それって過去への逃避でもなく

洗脳が解けていないのでもなく

彼の中での過去と現在を融合するための

唯一の手段だったんじゃないかな?

って思うのですsei

 

だからね、最終的に

本当の両親が、その撮影を手伝ってくれるのって

きちんと、主人公を自分たちの子どもとして

改めて迎え入れるための、準備だったように

映画を観ながら思ったのでしたsei

 

ってことはだよ

私たちも、自分の人生を生きてきて

いろんなことをやらかしてきたし

もう、消してしまいたいようなことも

きっとあると思うんだけど

それすらも内包しながら

「私は、私である。」

ってことを、過去の自分と、現在の自分とを

融合させながら、進んでいくしかないんだろうな。

って思うでしたsei