私は日本の九州の西の端の韓国に近い
対馬(つしま)に生まれました。
一度は本土に出ましたが結婚で対馬に帰り
私の生涯は対馬で終るでしょう。

何時のころからか人形を我流で作るようになり
私の作る人形に興味を持つ方との出会いが始まります。

朝鮮通信使人形研究家.光元次夫氏との
出会いも人形が始まりでした。


次元さんは広島在住ですがお会いしたことはありません。
電話では時々お話をします。
広島の三次市には現代を代表する
人形作家 辻本寿三郎先生の人形館にも行きました。
広島に在住の人形作家 松浦和子先生もお会いしました。
又通信使の立ち寄った瀬戸内海の各所にも
足を運びましたが私が感動する人形には出会いませんでした。

昨日光元さんから「播磨の朝鮮通信使」が届きました。
とても感動しています。
朝鮮通信使の人形でなく
「たつの市教育委員会」にです。

朝鮮通信使はユネスコの世界記憶に登録されました。
対馬市ではこの件に関して動きはありません。
通信使に関する活動もありません。

壱岐の島の方から
「対馬は豊かな歴史があるのに、どうして活用しないのか」
そんな質問を受けました。
でも私は自分に出来る事を続けて行こうと思っています。
それは人形で通信使行列を完成する事。
人形を制作する事もですが、そのことで
皆さんと出会う縁
不思議な出会いと言うのでしょうか。
日本から忘れられたような島にいながら
あなたに出会う
「不思議と出会う」
それが私の原動力です。
光元先生気にかけていただき有難うございました。