老人力
私がつかれたときに、歌う歌です。

すみません。今気がつきました。
一番のロマンチックな王様が大様になっています。

自分の周りに私は好きな言葉や、必要な言葉をよく貼ります。
清濁は私が人間の幅が無いころの、30年前くらいのものです。
言葉は本に書いてあったものです。

階段の壁に貼っている言葉です。
板に紙を貼りその時々に自分に言い聞かせた言葉です。
毎朝おきてすぐこの階段を、とても疲れた顔をして下におります。
この時何もいらない、すべてを破棄してもいいような最低の私がいます。
まだ眠りから覚めていないのですが、さわやかな朝を知りません。
疲れが取れてない状態です。

板に貼られている言葉は私が挫折し、落ち込んでいるとき、
私を救ってくれた言葉ですから、その時々のことがこれを見ると
思い出されます。

これを見ると苦しい時や、つらい時を思い出していましたが
今は たいして感じません、鈍くなったのか、
そんなものだとあきらめたのか。

この額の中の言葉も自分の気を高めるためのものと、自滅の①~⑤は私に
当てはまる言葉です。
60才も半ばを過ぎると自分も老人の仲間入りを、最近感じます。
自覚は無いのですが同年の友達を見るとそう思います。
同窓会の案内が もう先がありませんとか、
後がありませんと言う文面できます。
でも老人力の言葉どうりまだ力があるとしたら、
それは発揮していきたい私です。私の力?それは何もありません。
でも少しだけ、ほんの少しだけ、亀の甲より年の功
と言うものがあります。
仕事柄 人と接することが多いので、相談に似た話をよく持ち込まれます。
私は人生について勉強や哲学書を読んだわけでもなく、ただ私の生きてきた
人生の失敗や希望を話します。そして相手の話を聞きます。
「人は誰でも心に人に言えない荷物を持っています。」
私も含めてその荷物の置き場を手探りで探しているのです。
話せば荷物が軽くなります。笑ったらまた少し軽くなります。
見栄や虚栄心を脱いだらさらに軽くなります。
そんなことを思いながら年甲斐もない自分を、最近は可愛いと思いながら
中身は若いままで、また歩き始めます。
会話しながら、実は私が私の声を聞いて励まされているのです。