花粉症がどピーク…

頓服薬まで飲んでるから眠い。

ガーゼマスク&不織布マスクだから酸欠状態でぼんやりした頭で過ごしている。



東京は桜が間もなく咲くでしょうか




2月は毎年の婦人科の定期検診。

筋腫は若干育っていたが、まだ放置で問題ないようだ。がんも陰性。

次回検査までの間しばらくは忘れていられる。



夫は親不知が歯髄炎になってしまい、炎症が落ち着くまで待って抜歯をし、その翌週抜糸をした。




そんな時、父の病状がガクッと悪くなり、高熱が出た。その2日後の夕方お見舞に行くと鎮静のお陰で眠っていた。

手を触るととても熱かった。


看護師さんは、いつなにが起きてもおかしくない状態です……と。




チューブ類と呼吸器に繋がれ、

酸素など…いろんな機器がベッドを囲む。

こんな状態で生き永らえているのはいい事なのか…?

でも心の何処かでまだ逝ってほしくない気持ちもあった……

とても複雑な心持ちで病室をあとにした。



帰宅の車中、まだ熱が出せるパワーがあるってことだよね?きっと熱下がるよね……

そんな会話をするも、ずーんと重い空気。

夫の心情を思うと胸が締め付けられた。



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翌朝早朝、夫のスマホが鳴った。

夫は寝惚けてアラームと思い消した。



そのあとすぐ、

夫が飛び起きて私の名前を呼んだ。

私も飛び起きた…。

こんな時間に電話なんて嫌な予感しかない……




すぐに電話を折り返したら、

呼吸停止の報告だった。



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この日は長い1日になるなと覚悟。

訪問医師が到着する時間に合わせて施設に着くよう支度して家を出た。




近い未来にこんな日がくるとは知っていたけど……早すぎませんか?お義父さんよ…



義弟夫婦と、義父の姉妹に電話をし、施設にくるか確認して、我々長男夫婦で死亡確認に立ち会った。



葬儀屋は決まっていたので連絡を入れる。

人が死ぬと、悲しむ暇がない位やる事に追いかけられる……。

でも、ふと我に返ると急に生前の事が思い出されて寂しい気持ちが押し寄せる。





実家で義父は一人暮らしだったので、

斎場の安置室へ運んでいただいた。




葬儀の打合せは、担当者の予定が埋まっており翌日に行った。

日曜日に亡くなったので、金曜日の夜に湯灌と納棺の儀を執り行い、土曜日に家族葬で一日葬にした。

義父は75歳だが、お姉さん達は80代。

連日は大変だろうと一日葬にしたのだ。


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【息を引き取ってから葬儀まで】


貴重な1週間の忌引き休暇なので出来るだけやらねばならぬ事を詰め込む。

打合せ、施設の荷物回収、税理士への相談、実家へ行き祭壇を作る和室の掃除……


夫の感情には波があり、夜になると寂しさに支配されてしまい、納棺まで2回お線香をあげに斎場へ行った。


あっという間に葬儀前日。

湯灌と納棺の儀。

綺麗にしていただき、旅支度の装束に着替え、趣味だった篠笛の楽譜やお菓子を納棺した。

笛は竹製のため爆発してしまうので納棺できず……残念だが仕方ない。


会場の祭壇や供花、席順の確認。流れの打合せ。最終確認を終えて帰宅。




【葬儀当日】


早めに会場に到着し、お線香をあげる。

僧侶へご挨拶をしてお布施をお渡し。

戒名の説明を受ける。


葬儀と初七日法要を終え、火葬場へ移動。

高齢者が多いのでマイクロバスを手配した。

近くの火葬場はいっぱいで遠くの火葬場だった為、しばらくのドライブ…

火葬場に到着するとすぐ火葬されてしまうので、そのドライブがあってよかったと思った。


溢れんばかりのしっかりとした骨の持ち主の義父の骨壺を抱え、斎場に戻り精進落とし。全てを終え親族を見送る。

兄弟夫婦で実家へ行き、祭壇を作りお線香をあげて帰宅。



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【葬儀後の1週間】


訃報連絡の為、義父の遺したリストや年賀状から宛先の入力作業。

ハガキの注文は思いのほか大変な作業だった。


お墓の名義変更や、四十九日法要の会場や僧侶、石屋さんの手配、本位牌の注文、香典返しの手配、施設への挨拶、4月に予約していた専門病院の入院のキャンセル……

税理士事務所と契約など。




事務的処理は、生前義父から頼まれていた私が責任をもって完遂するのみ。



公的な手続きは、市のお悔やみ窓口を予約したので一括して出来るようだ。


家の片付けは四十九日のあとの日程で業者を手配した。





仏壇仕舞や墓仕舞い…

我々の後の継承者がいないので考える事はまだまだあるが、ひとつひとつなんとかしていくしかない。




10月に入院してから、心が追いつくまもなく駆け足で逝ってしまった義父であったが、厳しい病気に最期まで頑張って生き抜いた。家族の誇りである。



ほんとうにお疲れ様でした……

またね、お義父さん