古代史入門書紹介
1.新・古代史
ーグローバルヒストリーで迫る邪馬台国、ヤマト王権
著者:NHKスぺシャル取材班
2025年1月10日発行 NHK出版
昨年NHKスペシアル「古代史ミステリー」で放映されたので
ご覧になった方もおられると思います。
「卑弥呼と三国志、空白の四世紀と技術伝来、倭の五王と東アジア情勢
ー最新の発掘調査とAI・DNA分析などの科学的アプローチ、さらには
中国や韓国の国際研究の成果から、「日本」という国の始まりを多数の写真や
図版とともに描き出す。日本古代史研究の最前線」
2.日朝古代史の謎
ー日本書記が解き明かす
監修:瀧音能之
2025年5月24日発行 宝島社
「日本では自給できない鉄や、先進的な技術をもたらす朝鮮半島は、
古代日本にとって不可欠な存在だった。「日本書紀」には、朝鮮半島の
国々に仕える日本人官吏が登場し、朝鮮半島南西部には前方後円墳が
残っている。また朝鮮半島の動乱にヤマト王権は無関心ではなく、
海を越えて軍を派遣した。古代の日朝間の交流と対立の歴史を
「日本書紀」の記述と最新研究からひもとく。」
2025-10-01
小兵衛
群馬県前橋市の大室古墳群めぐり
古代の群馬は東国文化の中心地であり、太田市の天神山古墳群、高崎市の保渡田古墳群、綿貫観音古墳群、前橋市の大室古墳群、総社古墳群など巨大な古墳群がある。
群馬県は3世紀後半から7世紀にかけて築造された古墳が多く、1万3千基以上あり、このうち2434基が現存している。埴輪も「埴輪王国」と呼ばれ、特に人物、馬、盾、大刀などの形象埴輪の種類や量は全国一を誇る。
群馬県に古墳が多い理由は、肥沃な土壌と豊富な水を利用した農業が盛んだったこと、利根川水系による交通の要衝であること、ヤマト王権と連携して、豪族が力を持ちその力を示すために競って古墳が築かれた考えられる。
~赤城南麓の大豪族の威勢~
大室古墳群は赤城南麓の中央にある前橋市の城南地区にあり、雄大な赤城山の眺めが素晴らしい自然に恵まれた所で現在は大室公園になっていてよく整備されている。
赤城南麓を代表する豪族の墓が、前二子古墳、中二子古墳、後二子古墳、小二子古墳と6c初頭から後半にかけて4基まとまって造られている。また豪族が住んでいたと推定される堀と棚で囲まれた大きな館も発見されている。
1.前二子古墳(国史跡)
大室古墳群で初期に造られた。狭くて長い石室は美しい。
墳丘長94mの前方後円墳、2段築成、周溝・外堤・外周溝、上段墳丘下半分葺石、6c初頭の築造。
埋葬施設:全長13.8m・高さ1.8m・幅2ⅿの両袖形横穴式石室、ベンガラにより赤塗り
出土品:銀製空玉、装身具(金環・管玉・ガラス製小玉・水晶製丸玉)、土師器高坏、須恵器台付壺、杖形埴輪(岩見型埴輪)、円筒埴輪
2.中二子古墳(国史跡)
大室古墳群の中で最も大きい。内堀や中堤、外堀が全周し、墳丘や中堤は葺石で覆われ、内堀に工事や儀式の時に通った「わたり」が存在することがわかった。
中提の上には、古墳を外敵から警護するために立てられた盾持人形埴輪と円筒埴輪が密接して並べられている。
墳丘長111mの前方後円墳、2段築成、内堀、中提、外堀、6c前半築造。
埋葬施設:未調査のため不明
出土品:形象埴輪(盾持人・靭・線刻人面付円筒埴輪・鞆)
3.後二子古墳(国史跡)
石室は地中を掘って低く造ることで墳丘の盛土を節約している。
古墳を北側から見た方が大きく立派に見える。円筒埴輪の、石室の前に復元されているように南側は小さな埴輪が間隔をあけて使われているが、北側には大きな埴輪が設置されている。
墳丘長は85ⅿの前方後円墳、2段築成、6c後半築造。
埋葬施設:両袖形横穴式石室
出土品:親子猿や犬の小像がついた円筒埴輪、形象埴輪(馬形埴輪は大阪府四天王寺宝物館の埴輪と同じ製作者である)
4.小二子古墳(国史跡)
後二子古墳と関わりの深い人物の墳墓と考えられる。
墳丘長38mの前方後円墳、2段築成、埴輪は後円部と前方部の2グループに分けられて設置されている。6c後半築造。
埋葬施設:6mの袖無形横穴式石室 封鎖されて中を見くことはできない。
出土品:形象埴輪(人物・馬・家・大刀)、須恵器高坏、土師器杯・鉢・甕
以上
小兵衛




















