なかなか衝撃的な写真ですけども。
これ、幼少期のうちの長男です。
この前友達とふとこのときの話になったので
アルバム出して振り返ってました。
2011年4月。
当時、生後半年。
離乳食が始まってから、口もとのかぶれが気になり出して。
検診のときに産院併設の小児科に相談したら、塗り薬を処方されました。
言われた通りに塗ってみるけど、ゆるやかに悪化しながら5月を迎え。
何度先生に尋ねても、
『これちゃんと塗っといたらよくなりますよ』の一点張りで。
でも20代そこそこの新米ママだった私は、『先生』という存在を疑う、って選択肢を持ってなかった。
先生が言うんだから間違いないよね。
ちゃんと病院行ってるわけだし。
お薬もらってるし。
私の塗り方が悪いのかな。
私の何かが間違ってるのかな…
そんな感じでモヤモヤしたまま、息子の顔はどんどん悪化して。
6月。
どこにお出かけしても、まわりから
『かわいそうに』
って容赦ない言葉を浴びせかけらるようになりました。
『あららどーしたの?』
『痛そうねー』
『つらいねー』
『かわいそうに』
言われるたび、自分が責められてる気がして。
なんならスーパーの袋詰めしてるときに、
カートに座ってる息子に対して
見ず知らずのおじいさんから
『あんたこんな子ほっといて何しとんや!
ちゃんと病院連れてってあげなダメやろ!
かわいそうに!!』
って大きな声で説教されたこともある。
『病院、行ってます…』
蚊の鳴くような声でそう答えて、泣きそうになるのを必死にこらえて足早にその場を離れた。
そのあと駐車場の車の中で、泣いた。
悔しくて悔しくて。
私だって助けてあげたい。
どーにかしてあげたい。
でもみんなかわいそうって言うだけでどうしたらいいのか教えてくれないじゃん。
本人が一番つらいのはわかってる。
でも私だって!!
って。
ダメだ…
当時を思い出すと今でも泣けてくる。
今思うと判断に時間がかかりすぎなんだけど、
ようやく先生への不信感がハッキリしだして。
先生という名ばかりの存在を盲信するのをやめて、自分で信頼できる人を探そう。見つけよう。そう、やっと思えて。
当時ガラケーだったうえにパケ放題的なものに入ってなかった私は今ほど疑問をサクッと調べるってこともできなくて。
パソコン駆使して探して探してたどり着いた、ログハウス調のどこか懐かしい雰囲気の小児科。
すぐにアレルギー検査をして、皮膚の状態を確認して。
コワモテの先生に
『これまで何を塗ってたんや』
と言われるがまま処方された薬を告げたら、
『アホか!!』
って怒られて。
『そんなもん塗ってて治るわけないやろ!
逆に細菌のエサになるだけや!!』
って。
『母、しっかりせんか!!』
て言われて。
診察室で泣いた。
でもそれは、
怒られたことへの衝撃とか、
先生の顔が怖いとかじゃなくて。
例の説教じーさんのときとは全く別。
この状況から、きっとこれで抜け出せる。
やっと信じられる人がおった…!
っていう、安堵からの涙で。
母だからこうしなきゃ!とか
息子が一番ツライんだから!とか
立場としての自分じゃなくて、
私だってつらかったよーうわーん😭
っていう、肩書き抜きにした私自身の涙だった。
ステロイドや薬に関してはきっと賛否両論あるだろうし、今この場で使うことが正しいとか間違ってるとか言うつもりはなくて。
ただ、その先生は荒れた箇所を丁寧に観察しながら、段階に応じた薬を処方してくれて。
このグズグズ状態のときはこれ、
そこからこの状態になったらこれ、
乾いてきたらこれ!
って。
その段階の中にはステロイドもあったんだけど、
短期間でガッ!と楽にしてあげるために使うんや、
ダラダラ使ったらいかん!とか、まして間違ったタイミングで使うなんてもってのほかや!とか、
他にも母の気持ちの持ち方とか、医者のあり方とか、子供を見るってどーゆーことか、とかいろんな話をしてくれて。
みるみる回復していった息子の肌。
ツルツルの状態にまで戻ったときは、嬉しくてまた泣いた。
今ではなかなか病院に顔を出す機会も減ったけど、当時はしょっちゅうお世話になりました。
たまに行くといまだにガツンとやられる😂
でも、だからこそ信頼できた。
好き嫌いが分かれる先生というか、中にはその先生がキツいから通うのやめたってママもいたけど。
私は調子のいいことばっかり言ったり、
ろくに診もせずマニュアル通りの仕事をこなすだけの医者よりも
どれだけ説教されようが、カミナリ落とされようが、この先生が一番って思ってる。
子供達の肌荒れだけでなく色んな症状でお世話になったけど、なんなら小児科なのに母も治療してもらったけど←
そういった表面的な部分だけでなく、しんどかった私の気持ちも救い上げてくれた先生。
学校の先生
病院の先生
教室の先生。
他にも挙げると色々ある、先生。
『先生』って存在を
私たちはあまり疑わなかった。
そう、教え込まれてきた。
理不尽だろうが納得がいかなかろうが、
そういうもんだから!
言うこと聞きなさい!
そんな、時代でもあった。
今はだいぶ揺るぎつつあるけども。
先生だって、結局『人』で。
完全に間違わない人なんていないし、
親身になってくれる先生もいれば、
作業として淡々とこなすように接する先生もいる。
いいかげんなことをそれっぽく話す先生もいれば
常に学んで、追求して、知識をアップデートし続ける先生もいる。
結局は信じられるかどうかって
『先生だから』って肩書きよりも
『この人だから』って掘り下げた部分にあるよね。
それはもちろん、インストラクターって仕事をしている自分も含めて。
9年前の当時の自分にアドバイスするなら。
受け身で誰かの助けを待つんじゃなくて
誰かが教えてくれるのを待つんじゃなくて
自分で動いてみたらいい。
『信じなきゃいけない人』なんていない。
どんなに立場が偉くても。
どんな肩書きがあっても。
どれだけ有名な人でも。
あなたが信じたくないなら信じる必要はない。
信じる人は自分で決めていい。
信じるものは自分で選んでいい。
あなたの気持ちは、誰かが蔑ろにしていいものじゃない。
意思を持って。光を灯して。
きっときっと、大切にしてね。
それがきっと、あなたが大切な人を守ることにも繋がるから。
顔がグズグズで、目蓋も完全には閉じられない状態だった彼は、今はクソ生意気ながらも強く、たくましく、ときにデリケートに、しかししたたかに、私に似て守銭奴ながら、何より優しく育ってます。
綺麗事ばっかじゃやってけないのが育児です。
きっとこれからも喧嘩もするし、ぶつかるし、嫌になったりする時もあれば、照れながら手を繋ぐことや、一緒に泣くこともあるかもしれません。
いつか殴り合う日だって来るかもしれません。←
でもどんな壁にぶち当たっても
どんな理不尽に晒されても
自分で越えていける逞しさを持って欲しい。
自分で考えて、自分で選んで、自分で決められる強さを持ってほしい。
それは決して、かーちゃんやとーちゃん、まわりの大人たちと同じ意見じゃなくてもいい。
立場に縛られない、そんな選択肢も持ってほしい。
そのために今の自分に何ができるのか。
これから何を渡せるのか。
かーちゃん、考えてみる🙄

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