近未来、人々は何に幸せを見出すだろうか。

高度経済成長期に人々は物質的な繁栄と権力・名誉を追い求めた。

団塊の世代はそれらの欲望の権化と言って良いだろう。

その結果日本は「失われた時代」、無成長時代、貧富の差の拡大と頭打ちの閉塞感に覆われた国となった。

 

「マズローの欲求5段階説」によれば、社会的欲求が満たされた後に人が求めるのは承認欲求、そして自己実現欲求だ。

物質、そして権力・名誉という社会欲求を追い求めた団塊とバブル世代、それらに辟易した今の世代がSNS上での承認を求めるのは自然な流れだろう。

 

TVでイメージを席巻する芸能人に取って代わり、ユーチューバーが、そして「オンラインサロン」でそれぞれの熱狂的信者を集める「インフルエンサー」が現れるようになった。

インフルエンサーとして人々の共感を得て、広告収入で億単位の金を稼ぐ、もし自分がそうなれたならと多くの人が思うだろう。

でも当然だけど、そうなれるのはほんの一握りの人間だ。

 

ユーチューバーやインフルエンサーを巡っては、不祥事も目立つ。

人気と支持を得たインフルエンサーが実は犯罪や非常識的行為に手を染めていて、裏の顔を暴露され凋落するというパターン。

これもSNSが発達したことの表裏一体と言えるだろう。

誰もが発信者となれる今は、商業ベースのマスメディアが取り上げなかった不祥事も、個人の告発によって明るみに出るようになった。

逆に言うと過去はマスメディアに取り上げる程に大きくない不祥事は逃げおおせたということだ。

表面だけをハリボテのように偽装したインフルエンサーは突然ボロが剥がれることがある。

 

インフルエンサーまでは行かずとも、人々はインスタやFacebookで生活の充実ぶりをアピールする。

ツイッターで社会的な話題をリツイートしては、自分の社会的姿勢を投げ掛ける。

中には大盛りの虚飾をしてまでSNS上の“リア充ぶり”を作り上げる人もいる。

そこにも諸刃の剣はある。AI技術が発達して近い将来には嘘を見破る技術が出現するだろう。

AIの肝は機械学習によってビッグデータを相関付けることだから、人の表情と読み取れる感情とを相関付けることは得意分野だからだ。

表情や声色、テキスト情報からその情報の信憑性をAIで判断する時代がやってくる。

 

人々は政治家や芸能人の発言をAIアプリでチェックしては「あれは嘘だ」と囃し立てるだろう。

政治家は「特定のサーバのデータベースが学習・判断することには何の科学的根拠もない」と主張するだろう。

政治家の言うことなんて元々嘘しか無いのだから、そんな技術を認めるわけがない。

虚飾を飾り立てるタイプのSNS発信者は、記事を上げる前にAIでスクリーニングをし、「嘘と見破られないような虚飾」を事前加工して準備するだろう。いたちごっこの始まりだ。

 

人々はSNSの仮想空間の中で武装し、競い、主張する。

従来と劇的に変化するゲームチェンジは“参入コストに差が無い”ということだ。

インターネットに接続する端末を持っていれば、だれでもこのゲームに参加できる。そして仮想空間での競争には、物理的費用が必要ない。

かつて人々は、高級乗用車に乗り、高級腕時計を身につけることで物理的に、自分の栄華と成功を示そうとした。

今や仮想空間は物質的栄華を必要としていない。

必要なのはコンテンツ、アイデアであり、それが如何にentertainingであるか、そして人の共感を得るか、である。

 

興味本位を煽るだけの発信者は雨後のタケノコのように現れては消えるだろう。

“本当の真実”を持っていそうな発信者だけが、持続的に生き残るだろう。

格闘技の真似事や趣味の悪いイタズラをしてをして過激な映像で視聴者を集める発信者は飽きられればお終い。

でも例えばイチロー選手が自分の日々を紹介するチャンネルを作ったらどうなるだろうか。

彼の世界観を垣間見たいという固定のファンがずっとそれを見守ることだろう。

 

“真実のある発信者”になるとはどういうことだろうか。

他人の心を豊かにできるメッセージを発信できる人は自分の心も豊かであるに違いない。

成功の秘訣を語る資格は、実世界で成功を収めた人にしか無い。

実世界で自分を豊かにした人が、それを自らの言葉で語り始めたときに人は耳を傾けるだろう。

 

“実世界”とは何か。バーチャルな世界で人は豊かになること、成長することはないのか。

残念ながら、ネットがどんなに発達しても、実世界と人の成長とは表裏一体で、それをバーチャルな体験が取って代わることはないだろう。

「私はニートでずっと引き篭もっていますが、ネットで様々な情報に触れたり本を読んで造詣を深めています。深く考えた上で世の中への意見も発信していますし、そんじょそこらのサラリーマンに比べればずっと教養も人間的成長も高いレベルです。」なんてことは無い。

 

“実世界の成功”とは何か。

昔はいい大学を出て、一流企業の課長にでもなれば、世間の成功者として鼻高々だった。

あとは威張り散らして定型業務の権限を振りかざしていれば、定年まで上向きヒラメの下へ威張って安定した退職金と年金をゲットして逃げ切りセーフ。

今は大企業でもそんな人を抱える体力と余裕はない。

そもそもイノベーションで効率化が進み、管理業務のポストは昔ほど多くない。

AIが発達すれば、定型管理業務は更に減るだろう。

「課長の椅子」は昔ほどの数は残っていないのだ。

 

いつの時代も人が拠って立つものは「人とのつながり」。

これはもう、人間の遺伝子にインプットされた根源的な欲求だから、変わらない。

それを維持するには、いくつかの具体的なスキルも重要だ。

 

ひとつは英語を始めとする「語学力」。

コロナ禍は、皮肉にもオンラインでのつながりを強化し、国際的距離を超えたコミュニケーションのハードルを下げる結果となった。

世界70億の人々とつながるには、その国際標準語とも言える英語の習得が必須だ。

 

翻訳こそAIが進む分野なのだから、言語はハードルにはならない、という人がいるかも知れない。でもそれは違う。

日本語とヨーロッパ言語の構造は根本的に違う。文章を構成する単語の並べ方がまるで逆である。

欧米人と日本人の間で通訳を務めたことがある人ならわかるだろう。

リアルタイムの通訳が出来ない。一つのセンテンスが終わってからようやくその内容を翻訳する作業に取り掛かれる。

AIでもこれは同じことだ。リアルタイムの通訳は不可能だ。翻訳内容の精度は上がったとしても、AIは未来を予測することは出来ないからだ。

必ずある程度の時間差が発生する。それが大きい意味を成すのだ。

自分の母国語(日本語)で会話することを想像したときに、全てを10秒後のタイミングで話し出す人がいたとしたら、スムーズな会話に参加できないだろうな、というのは容易に想像がつくことだろう。

欧米言語はラテン語を源流とし、構造が似通っているので、欧米言語同士はこの時間差をまだ克服する余地がある。だが日本語は構造的に、この点では圧倒的に不利だ。

 

他言語ということの他に「話術」も重要な言語能力と考えられるだろう。

オンラインミーティングの回数が増えて、言語コミュニケーションの質が変化したと感じることはないだろうか。

リアルな会話では「アイコンタクト」というものがあった。オンラインの場では視線が合うことは無いし、「場の空気の共有」のようなものも無い。

誰かが重苦しく押し黙っていることも、だれかがネットサーフィンに興じてミュートにしているのも差異がない。

ちょっとした沈黙の静寂の後に喋り出すタイミングが被って譲り合いをしたり、途中で言葉を挟もうとしたのが全くの背景音としてかき消されてしまったり、会議室の実会話ではテンポよく進んでいたことがどうもスムーズに行かない。

「空気、流れに合わせて浮かんだ言葉を挟んでいく」スタイルの会話は急速に有効性を失っている。

それに代わって、「一定時間内に自分の伝えたいことを構成・作文し、それを簡潔に言い切って皆に理解してもらう話術」、いわば「語り部・講談師」的な話術が重要となっている。

国際的な仕事で英語・日本語両方のオンラインミーティングをこなしている人は、日本語ミーティングがオンラインで質が変化したのに対し、英語のミーティングの質がさほど変化していないことに気付いているだろう。

それは、英語圏には「場の空気」という文化が無く、「語り部的話術」が元々のビジネススキルとして必要とされているからである。

 

コーチングスキルや傾聴力も身に着けるべき技術の一つだ。

よっぽどの有名人や何かを成し遂げた人でない限り、自分語りばかりしていては、人は寄ってこない。

 

ひろゆきやホリエモンが急速に若者の信者を掴み始めている。なぜか。

彼らの語ることは乱暴に聞こえることもあるが率直で簡潔だ。

自分の歩んできた人生そのままの考えや意見を素直に述べているのだろう。それが良いか悪いかは別として。

思った通りに自分の言葉で自分の解釈を断定的に話すから、時にポリティカル・コレクトネスを侵すことがあって世間から批判を浴びたりする。でも話す内容は時にリアルに響いたりする。

ある意味マインドフル、ということも出来る。

 

社会に抗って生きているイメージがあるが、それは社会常識を常に疑って自分の意見や考え方で生きてきたことの裏返しだろう。

一方、いい大学を出て一流企業に就職し、課長になって家を買い、それ以外の生き方を罵るような人はマインドレスの極みだと言えるだろう。

世間からのバッシングも多い二人だが、それは当然のことである。

マインドレス・リーダーはその他の層を卑下し、自分の優位性を確認することを糧に生きているので、このような二人が世の中に認められることを受け入れない。自分の立場が脅かされるからである。

 

マインドレス・リーダーたちが早く気づくべきことがある。それはこれからのZ世代の共感を得ていく者は

ひろゆきやホリエモン的人物である、ということである。

 

マインドレス・リーダーたちは自分の「王道的な」成功を世に誇り、権威の中枢に座り、古いしきたりをただ踏襲することを正義と押し付け、偉そうにし、その割には世間や上のお咎めを受けそうな発言に関しては絶妙に口をつぐみ、自分の立場を維持してきた。その様子をZ世代は冷ややかな目で見ている。

Z世代はマインドレス・リーダーが明らかに持続的な社会のシステムでないことを既に知っている。

マインドレス・リーダーの発言は自分の心の根源から発しておらず、いつもどこかの権威からの借り物の反芻なので、字面が立派でも全くZ世代の心に響いてこない。自分の心の叫びではないからである。

ひろゆきやホリエモンが急速に若者の支持者を増やしているのは、彼らの発言が良くも悪くも自分の素直な根源・想いに発しているからである。

勿論、ひろゆきやホリエモンが言う発言のひとつひとつを良い・悪いと判断するのはそれぞれの自由である。ここで重要なのは彼らが正しいかどうかでは無い。70億人の一人一人が発言・発信する素地を持っていくこれからの時代において、カラスを黒いと言う意見も白いと言う意見も、それが本音の心から発した言葉であれば必ず共感する人が一定数いるということだ。そしてマインドレスな言葉は誰の心にも届かない。

絶対的な正解など世の中には存在しない。

これからの世の中は、それぞれの感性や共感の質に合わせた島宇宙的それぞれの集団が、それぞれの中で快適な刺激とやり取りを楽しむ様相を呈するだろう。

 

長くなったが、これからの豊かさの基準と、幸せのあり方を最後に箇条書きにまとめる。

 

・大切なのは人とのつながり。それはどの時代も変わらない。

・語学力等の具体的コミュニケーションスキルは常に磨いたほうが良い

・自分が素直に思う想いを、世間の評価を恐れずにマインドフルに表明し、共感する仲間を得ること

・できるだけその素直な感性が示す方向に合う形で世の中に貢献できることを模索して生きていくこと。