- 前ページ
- 次ページ

剣道のけいこが久しくできづ、.....。
人間と云うのは酒を飲まずとも酔い
眼が見えても見えなくなるのものなのか
一生懸命している姿、正しいと信じそのことを行なう姿
そのことが古より正しいことであれば問題のないこと
例えば学生が学問について昼夜を問わず勉強することは実に結構なこと
こと社会の中での、組織の中での長を信じることは大切だと思う、しかし、本当に人格者であれば良いのだが、少しでも所作に疑問を感じることがあれば、距離を置く、別の角度から見るなどする必要がある
信じること、信じきることは美徳ではあるかもしれないが
誤った場合、実に滑稽で、可哀想にさえ写るだろう。
時間が立ちよく見えてくると、その当時の自分を想像すると、いかに滑稽で浅ましい姿であっただろうかと、仮に人に迷惑をかけずとも、気付かずとも、気付く人はいるだろうし
それを優しく見守ってくれるだろう、気付いたのちに互いに剣を交えることが出来たならば、まさしく真の交剣知愛の心が生まれるのかもしれない
くわえるならば、邪心ではなくとも相気になれない剣をいくら交え重ねようと、何も生まれないだろう。
仕事も私事も同じだと思う。
日々三省し努めたい。
阿吽の呼吸、息が合うなどは,決して馴れ合いではないし、友達でもない。
常にお互いの距離をもち礼節の上に信頼をもち敬愛の上に成立するものでなくてはならない。
6/11に書いた100日間毎朝行った稽古の事を書いたが、まさに毎日行う相手の互いの信頼がなくては出来なかったこと。
それには十分な時間を掛けて調整しいつから始めましょうと言う前段階があってこそでもある。
事業も結婚もそのようなもののように思うのだが....。
勿論勢いもあるだろうけれど。
故に失敗もあり学びもある。


