毎年、行われているワイルドミュージックスクール恒例の
御存じ“ワイルド音楽祭EXTRA”今年は年末です。
27日と28日の2日間、お台場の東京国際交流館の
プラザ平成にて行われます。

ワイルド生徒と講師、もちろん僕も一体となって
出来る限りのパフォーマンスをお聞かせします。
詳細はまた後日、司会はルーシー・ケント
スペースバンド以来、初めてヨモ・ヨシローが
緊急ゲスト参戦します。
先日、銀座スイングに出演時のこと
連絡があって、急に奴が逢いに来た。
ディープパープルのドラマーであり、
僕の友人でもあるイアン・ペイス。
久しぶりに顔を見た。
僕らはお互いに以前より少し痩せた。
同じような中年同士だから、健康が
第一なのは言うまでもない。
ライブの途中でホテルに帰っていったが
時差で眠くなるタイミングが僕らとは
違うので致し方ない。
でも、わざわざ逢いに来てくれるという
嬉しいプレゼントであった。
物をもらうのも嬉しいかも知れないが
来てくれてありがとう。我が友よ
これから先も友達で居ようぜ!!


読者の皆さん、忙しかったこともあって皆様、
ほんとうにご無沙汰でした。

ところで中島啓江が死にました。
元々、藤原歌劇団に在籍していた頃から
僕が当時やっていた「いいとも」のコーナー
宴会ソングコンテスト等にアマチュアとして出演し、
その後、唄の世界で多方面にわたり活躍をしていました。
最後にあったのは僕が船のお客様を迎えに
横浜の大桟橋まで行った時、船から下りてきた彼女に
出逢った時です。

身体は随分大きくなっていましたし、杖をついて
ゆっくり歩くような状態でした。
それでも「ひろさんの顔を見るとホッとするんだ」
なんて嬉しそうにしていたのを想い出します。
事務所の問題とかスタッフの愚痴とかも聞きましたが、
本人が「あたしは恵まれていない」と言うほどのことはなく
彼女の言う事を考えてみると・・・・。
ああ、僕の方が恵まれていないとふと思ったものでした。
明るい奴でした。身体も声もでかい奴でした。
僕思うに中島啓江が音楽業界に入った入り口から
この世を去るときまでなんだかんだ自由に生きてきた
ように思います。

でもね!
死ぬってことは、この世からいなくなってしょまうこと・・。
そう思うと淋しいです。
まだ僕よりぜんぜん若いのに・・・・・残念だ。
昨夜はニューオータニで1時間半のショー、
何よりもお客様が音楽をよく知っている。
僕と同年代の音楽ファンは「ツーと言えばカー」
マイナーな楽曲でも積極的に反応があって
凄くやりやすかった。
35+65=100のコンサートに続いてまたまた
素晴らしいお客様に恵まれて感謝しています。

ここのところ立て続けの仕事でありましたので
ちょっと疲れてはおりますが、それはそれ・・。
年相応の疲れかなと納得をしております。

但し、やはりコンサート後はアドレナリンやら
ドーパミンやらなにやら訳のわからない物質が
脳内にかってに湧き出ております都合上。
寝付けない&眠りが浅い。
だから余計に疲れてしまうんだろうと思います。

明後日の日曜には学校内のライブです。
今回は生徒とデュエットして、別の生徒の伴奏
でドラムを叩くという校長の責務を喜び勇んで
やらせてもらいます。
実は今、遅ればせながら練習中なんです。
これはこれで大変ですよね・・・・・・・!!!
一夜明けて今日は日本アームレスリング連盟の
試合で国歌斉唱してまいりました。
国歌斉唱の場合は燕尾服を着たいところですが
今回はタキシードでご勘弁。
本来、タキシードはアフターシックスと言い
6時以降に着る服ですが、午前中にも関わらず
タキシードですみません。
本来はモーニングが良いのですが仰々しいので
こんな出で立ちです。