3月度もお疲れ様でした!
早いもので3月の歩みも実質的に終わっていきました。昨日の礼拝の説教はとても良かったですよね。礼拝とは、受けるものではなくして、神様と真の御父母様の前に自分自身の心情を祭物として捧げていく場である。神様から取っていただくことの出来るどれだけの精誠を尽くして、礼拝に臨んでいけるのか。
私自身、礼拝に臨む姿勢を正されるものがありました。最近では、何か神様からのメッセージや願い、恩恵というものを求めていた姿勢があったので、捧げていくという観点は正直、無かったなと思い、価値観が良い意味でひっくり返りました。感謝でありました。
さて、3月度の歩みを終えまして、振り返ってみると本当に3月度は濃い歩みであったということを感じます。何よりも自分自身の課題というものが露になり、見つめざるを得ないような環境を通過しましたけれども、来月から環境も変わることもあり、良い意味での精算路程であったか、と思います。
体不調や車の事故を通じて、青年部長から自らの課題に対するご指摘をいただき、なかなか自分では気付ききれなかった、不足さやズレというものを理解することができ、とてもありがたかったと感じております。報告と相談の違いであったり、責任を持つべきところや判断すべき内容を明確にする点、必要の無い事まで背負わない事など、秩序のある闘い方というものを考えさせられました。報・連・相の重要性は知っていながらも、しっかりとは実践できていなかった自分を反省しました。アベルとしてどうあるべきか、もちろんそれを追求する事は大事であるか、またカインとして、アベルや中心の前にどうあるべきか。また信頼を勝ち取っていくことができるか。それもまたとても重要であるということを痛感いたしました。最近は中心の前にどうあるべきなのか、アベルの前にどうあるべきなのか、ということを神様から考える環境を多く与えられているということを度々感じることがありました。そこを改善して、成長を願われる天の願いというものを感じます。
また、それと同時に父との関係性を見つめるべきであるというご指摘もいただいたのですが、確かにそこの部分は私自身しっかりと見つめていなかった部分であったということを感じました。宇宙の根本は父子の関係でありますし、その因縁というものが私の存在価値というものを決定していることを思ってみれば、何よりも重要な関係であると言うわけです。そう考えてみると、確かに、父との関係性というものが、アベル、中心との関係とも重なるわけであり、神様との関係にも繋がっていくわけであります。
父との関係は、私が原理を聞いてからだいぶ関係性が近くなってきたものがあり尊敬に値する人物として、上げられるまでに至りました。しかし、以前は違いました。軽蔑や否定、裁きの思い、できたら似たくない、よく分からないという考えがどちらかというと先行していたように思います。ただ、根本的にはやはりまだまだ拭いきれていない思いや、築ききれていない関係性、絆というものがあったように思いました。ですから、父に喜んで従うというよりも自分でやる、自分のやりたいことをやるというのが、ずっと以前までの私のスタイルでありましたので、親の願いに応えるという考え方はある意味ではみ旨に来てから深く身についた考えだと思います。親孝行という気持ちはもともとありましたけれども。
ですから、自分自身の課題として、基本的には主管されたくない、主管性を転倒するとか、秩序を乱してしまう、余計な事まで自分でやろうとするということが生じてくるのだな、ということを思わされました。自分自身その辺の整理というものが曖昧でしたので、今さらながらに見つめる環境を天が与えてくださったのだと思います。その課題ために、今までも努力して投入しても実らなかったり、霊肉ともに不調に陥ったりと、問題が発生していた原因の大きな一つになっていたという事が分かりました。
そういった意味で、先月は心情がえぐられるような情も通過しましたが、改めて信仰的にどう成長していくか、中心やアベルの信頼というものをどのように築いていくのか、関係を深めていくのか、ということをよく考えるようになったおかげで、また一つ自分自身が今後成長していけるのではないか、と感じております。
神との父子関係、実体における父との関係、それが社会性にも繋がってくるという事は言われますので、もう一度そこの原点に立ち返って、来月からの歩みをさらに飛躍したものにしていけるように、課題克服をしていきたいと考えております。
新たな自らとして再出発していけるように来月度も精誠を尽くして行きたいと思います。そして何よりも実質的な勝利をもって、先月の精算路程を生かしていく歩みをしていきたいと思います。
