最近、よく考えることがある。今の自分という人間について。
僕は3歳のときに北海道から東京に引っ越してきた。
理由は、父親の仕事の事情だった。
父親は国鉄に勤めていて、ちょうど僕が三歳を目前に民営化に至り、転勤を余儀なくされたらしい。
僕にとって北海道の思い出よりも、東京の思い出のほうがたくさんある。
東京に来たのは家族の事情であって僕にとっては、避けられない運命であった。
あの時、東京に来ていなければ今の僕の人格はなかっただろう。
北海道に居続けていたら、もしかして今頃農家でトラクターを運転していたかもしれない。
「夢や目標を持ちそして、それを実現する努力をしろ」
という、類の経営者の本やら、自己啓発のセミナーなどが最近良く目に付く。
この場合、努力するのは後天的な自分の力によるものだろうけど、
しかしその夢や目標というものは、案外先天的要因によって決められてしまうように思う。
この間、学校のある授業で、肺がんの発症理論の授業を受けた。
そもそもがんは、先天的に、つまり遺伝子レベルで発症してしまうリスクのある因子を持った人とそうでない人がいて、そしてさらに後天的な要因(喫煙とか)が重なって実際にがんになるのだそうだ。
どんなに努力して健康に気を使っても、先天的に絶対にがんにかかる人もいれば、どんなに不摂生をしても、がんにかからない人もいるという。
多くの人はその中間で、先天的要因と後天的要因の組み合わせでその後がんになるかが決まる。
今の自分の夢や目標に関するマインドもそんな気がしてならない。
つまり、先天的に、言い換えると運命的に決められてしまっている、環境の上に乗っかり、かつ後天的な自分の行動によって人格が形成され、その価値観の中で自分の将来を決めていくのではないだろうか。
もし今頃、まだ北海道にいたら、自分の目標はホクレンの役員だったかもしれない。
夢とか目標ってものは、案外小さい小さい世界での、目印のための単なるフラッグなのかもしれない、と強く感じる今日この頃。
僕は3歳のときに北海道から東京に引っ越してきた。
理由は、父親の仕事の事情だった。
父親は国鉄に勤めていて、ちょうど僕が三歳を目前に民営化に至り、転勤を余儀なくされたらしい。
僕にとって北海道の思い出よりも、東京の思い出のほうがたくさんある。
東京に来たのは家族の事情であって僕にとっては、避けられない運命であった。
あの時、東京に来ていなければ今の僕の人格はなかっただろう。
北海道に居続けていたら、もしかして今頃農家でトラクターを運転していたかもしれない。
「夢や目標を持ちそして、それを実現する努力をしろ」
という、類の経営者の本やら、自己啓発のセミナーなどが最近良く目に付く。
この場合、努力するのは後天的な自分の力によるものだろうけど、
しかしその夢や目標というものは、案外先天的要因によって決められてしまうように思う。
この間、学校のある授業で、肺がんの発症理論の授業を受けた。
そもそもがんは、先天的に、つまり遺伝子レベルで発症してしまうリスクのある因子を持った人とそうでない人がいて、そしてさらに後天的な要因(喫煙とか)が重なって実際にがんになるのだそうだ。
どんなに努力して健康に気を使っても、先天的に絶対にがんにかかる人もいれば、どんなに不摂生をしても、がんにかからない人もいるという。
多くの人はその中間で、先天的要因と後天的要因の組み合わせでその後がんになるかが決まる。
今の自分の夢や目標に関するマインドもそんな気がしてならない。
つまり、先天的に、言い換えると運命的に決められてしまっている、環境の上に乗っかり、かつ後天的な自分の行動によって人格が形成され、その価値観の中で自分の将来を決めていくのではないだろうか。
もし今頃、まだ北海道にいたら、自分の目標はホクレンの役員だったかもしれない。
夢とか目標ってものは、案外小さい小さい世界での、目印のための単なるフラッグなのかもしれない、と強く感じる今日この頃。



