「夜間飛行」/夜をゆく | 旧・日常&読んだ本log

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流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

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サン=テグジュペリ、山崎庸一郎訳 「夜間飛行」 

私が借りてきたのは、みすず書房のもの。アンドレ・ジッドの序文と、特別付録として「『夜間飛行』に着想を与えた人物から見た」と題したディディエ・ドーラ氏による文章が付いた、贅沢な造り。ディディエ・ドーラ氏は『夜間飛行』のリヴィエールのモデルであるとされている。

アンドレ・ジッドは序文において、次のようなサン=テグジュペリの手紙の一部を引用している。
「勇気はりっぱな感情からはできていません。すこしの逆上、すこしの虚栄心、多くの頑固さ、それにつまらぬスポーツ的な歓びです。とりわけ、肉体的なエネルギーの興奮ですが、これには見るべきものはなにもありません。シャツの胸をはだけて腕組みでもすれば、楽に呼吸できます。そのほうがむしろ爽快です。ことが夜に起こったときなど、とんでもない愚行を演じたという感情がそれにまじります。勇気があるだけの男なら、わたしはけっして尊敬しないつもりです。」


『夜間飛行』は、暗闇の中をゆく開拓者たちの物語であるけれど、よってただの冒険譚ではない。暗い夜空に向かって、夜の星に向かって、地上の灯りに向かって、心が開かれるような物語。各々がその立場、役割に従って、高潔な心で最善を尽くす。美しく硬質なイメージ。操縦士たちの指導者であるリヴィエールの生き方は、ハードボイルド的でもある。

「彼を恐怖から救い出すのだ。わたしが攻撃したのは彼ではない。彼を通じて、未知のもののまえで人間をすくませるかの抵抗なのだ。言い分をきいて、同情してやり、彼の冒険を真に受けてやったら、彼は神秘の国から帰ってきたように思いこむだろう。人間が恐怖をいだくのは、ただ神秘だけだ。もう神秘など存在しないというようにならなければならない。暗い井戸のなかにおりて、そこから這いあがってきた人間たちが、なににも出くわさなかったと言うようにならなければならない。あの男にしても、闇のいちばん秘められた中心、その厚みのなかにおりてゆき、手元なり翼なりしか照らさない小さな坑内ランプさえ持たず、ただ肩幅だけで未知の世界を押しあけてゆくようにならなければならない」

「出来事に奉仕する」リヴィエール。何のためにその仕事をするのか、その仕事がなされなければならないのか、それが見え難い時もあるけれど、どんな仕事にもこういった側面があるのかもしれない。時に家の灯りよりも、外へ出て「征服」することが必要になる。一つ一つの犠牲が、誰かのたゆまぬ努力が、生活を少しずつ豊かに、暮し易くしているのかもしれない。
そう長い物語ではないのだけれど、名作とされる所以が良く分かった。

サン‐テグジュペリ, Antoine De Saint‐Exup´ery, 山崎 庸一郎
夜間飛行

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、御連絡下さい。