自分のことを書くこと、ましてやそれを不特定の目に晒すことには抵抗も不安もあるが、それでも書くことに決めた。

 

と書いたそばから手が止まる。

 

多くの目には留まらないとわかっていても、投稿の多くは非表示にするつもりでいても、思いや物事を具体的に表現することは難しい。

 

それは、他人にはわからない自分が、自分でもわからない自分になって、それがいつしか誰にもわかってほしくないという思いに変わったからだと思う。

 

意味不明だけど。

 

英語にするか。

気持ちに関わることは英語の方が書きやすい気がする。日本語で心のことを話したことはあまりない。

自分のための記録なんだから、自分の書きたいように書きたい言語で書けばいいんだ。

本当は言語を統一したいけど。

 

振り返ってみると、ごくたまにだけれどMacBook のノート機能を使ってとりとめもないことや頭にきたことを、つれづれともしくは抗議口調で書き連ねては忘れた頃になって削除をしたりはしていた。

それが Note からこのブログに移ったということな訳で、そんなに大騒ぎすることでもないんだよな。

 

セラピストによくJournaling を勧められたけど、誰かに言われると途端にやる気をなくす。というか、気負ってしまってfreeze するのだろう。だから言われるたびに「続いた試しがない」と伝えてきた。実際にそうだった。

誰かに促されるのでなく、自己完結という形でならできる気がする。

 

今回ブログを始めようと思ったのは、人生の振り返りの意味が大きい。

それは、人生の折り返し地点をとうに過ぎて、悲嘆や喪失がより現実味を帯びてきたということ。

人生前半、20代でキラキラと夢と希望、そして可能性の下に自分の人生を思い描くのと違い、壮年期から老年期かけての人生との関わりは、喪失や落胆、後悔、争い、諦め、そして受容といった、あまり気が乗らないことが中心な気がする。

内省にはそれなりの覚悟がいる。

 

でも、色々なことが入り混じるからこそ、書くことが大切なんだな、と。

 

日記が続いたためしがない自分が何をどこまで書き続けられるか、とりあえずやってみましょう。