本日、ついに最終回を迎えました!

ここまでお付き合い頂きまして、マジ感謝♫(ラッパーかよ笑)

第31回!!


㉛ 

土曜の昼、惰眠をむさぼっていた俺は、リコからのLINEで起こされる。 

『お兄、コースケ君を誘拐した犯人が捕まったんだって!』 

やっとか!と俺はスマホを忙しなくスライドさせ、ネットニュースを漁る。 

サイトには犯人として、俺とコースケが通っていた塾講師の男の写真があった。 

講習の合間に公園を見回っては、サボっている小学生を捕まえて親に報告していた陰険な野郎だ。 

事もあろうか、コイツはコースケの母親にしつこく関係を迫っていた。

ダントツの優等生なのにサボりがちなコースケは保護者相談対象で、親と対面する機会が多かったのかも知れない。コースケの母親は美しく華があり、父兄会でも目立っていた覚えがある(気が触れるまでは……)。 

あの母親のことだ、始めのうちは若い男の熱烈なアプローチに満更でもなかったのだろう。しかし母親はコースケの将来を考えて、関係を断った。 

ーーー奴の恨みがコースケに向いた。 

奴は夏休み中、俺達の行動を見張り、その機会を窺っていた。そしてあの雨の日。 

『コースケ君、風邪をひくから早く車に乗りなさい、家まで送ってあげるよ』 

通っている塾講師で顔見知り。帰宅時間も大分過ぎている。外は土砂降りで傘もない。塾はずっとサボっているから負い目もある。 

いつもは慎重なコースケも、奴の言葉を信じて、びしょ濡れのまま車に乗り込んだ。 


『お兄、コイツのこと知ってる?』 

『一度、コースケと公園でサボってたところを捕まえに来たな、俺は逃げたけど』 

しかもコイツはぬけぬけと町の青年団に混じり、コースケを探すフリをして、操作を撹乱していた人でなしだ。 

『容疑を否認だって』 

『これってお兄も裁判に証人として呼ばれるの?』ダンスしているパンダのスタンプを送ってきたリコを諌める。 

『ワクワクすんのやめろやー』 

『だってカッコイイじゃん!』 

『法廷ドラマみたい!』

 『私も行く!』 

と、盛り上がってLINEを連投するリコに、思わずため息をつく。 

この秋、深夜のテレビで、コースケ事件のドキュメンタリー番組が放送された。 

俺が夜市の村に呼ばれる数ヶ月前、コースケの母親は病気で亡くなっていたそうだ。 

最期の方は大分まともになり、過去にあったことについて長い懺悔の手紙を父親に残していったらしい。 

更にあの男をもう一度調べてほしいとも。

 奴の仕業だと、薄々は感づいていたのかも知れない。 

どうして、もっと早くに真実を話してくれなかったのか。 

ただ、自分のせいと認めたくない気持ちはよく分かる。俺もそうだったし、親なら尚更だろう。俺にはあの母親を責めることは出来ない。 

そして、話したところでコースケが戻ってこないということも。 


引っ越したのは母親の病気の関係で、父親はずっと一人で手がかりを求め、行方不明者家族対象のNPO法人に所属し、活動していたそうだ。

 このドキュメンタリーのおかげで、またコースケの事件に世間の関心が高まり、情報提供の数が増えてきたらしい。 

かくいう俺も、丸川橋町中央駅でビラを撒くコースケの父親を訪ねた。年に何度か、人が最も集まるこの駅に立っているそうだ。 

我が家に謝罪に来た時は、高いスーツを着たいけ好かない野郎だったが、この10数年で髪も薄毛になり、痩せて小さくなり、ウチの親父よりもだいぶ老けてみえた。 

俺は父親に、コースケと最後に過ごした夏休み日記を実家から発掘し、読み返しているうち、公園を巡回していた塾のスタッフがコースケにうざ絡みをしていた話を思い出したと伝えた。 

……勿論、それは出まかせなのだが(笑) 

聡明な父親の頭の中で閃いたらしく、父親は俺の手を力強く握り、何度も御礼を言ってきた。 

コースケの両親は、子供のことより世間体を優先するクソ人間とずっと蔑んでいたが、父親も母親も、自分なりにコースケを大事に思っていたことがわかって、俺は何となく安心した。 


 警察は奴を別件で逮捕し、住居をガサ入れすると、押し入れの奥から、血のついたジャスティス・レンジャーレッドのお面が発見された。鑑定に時間はかかったものの、裏に付着している血液はコースケのものだと判明した。 

そんなものは知らないと、奴は否定し続けているらしい。 

そりゃそうだろう。 

夜市の村に向かう前、コースケがコッソリ部屋に忍び込んで押入れの奥に置いていったのだから。


 「ホントはこの悪戯をガクにやりたかったのにな〜!」


コースケの笑顔を思い出す。 

まだ道半ばだ。でも俺は、奴が自分の犯した罪を認めるまで出来る限りのことをする。 

信じる者に奇跡は起きる、

ジャスティス・レンジャーの名にかけて!

なんてな。

千原のオバサンに返しそこねた、鳴らないPDAを見ながら、俺は誓った。


 その後も、じっちゃんの家や土地の権利のことで、何度か田舎に向かうことはあったが、夜市の村は見つけられなかった。 

ある年の夏、俺はムキになって、地図と格闘しながら何時間も山道を彷徨った。 

そしてようやく地元に詳しい村人を見つけ、話を聞くことが出来たのだ。 

「え、あなた、今流行りのテレビ番組の人?ほら、ぽっつりと家一軒、だっけ?」 

「あ、そんな大層なもんじゃないです」 

ハンディカメラで周辺の動画を撮っていたので、テレビ製作の人にでも見えたのだろうか。 

確かにここから10数キロ離れたところに「千原村」はあった。しかし、そこに人が住んでいたのは昭和の始めまで。

 廃村になってから、何度も起こる大規模な土砂崩れで唯一、村に続く道が埋まってしまい、舗装する意味もない為、既に現存しないとのことだった。 


 それがもう10年以上、昔の話だ。                   〈了〉