今日は通院日。
長男ではなく、私の方の病院です。
義父の介護と子どもの夏休みが重なり、うつ病になってしまってから早1年。
義父は鬼籍に入り、4月には次男も入園し、長男も弄便や他害がなくなるなど去年に比べると少し落ち着いてきているので、今年の夏は嘘のように穏やかです。
それでも、簡単に寛解とはならないのがうつ病。もう日常生活に支障が出るほど寝込み続けることはありませんが、土日の疲れで月曜に子どもを送り出したあとは必ず寝込むし、時折呼吸ができないような息苦しい感覚や激しい動悸におそわれ、横にならずにはいられないということも2,3日に1度はあります。気を抜くと、生きることを放棄したくなる感情も溢れてきます。薬がなければ寝付けません。
薬のおかげで何とか生活を回しているけれど、きっとまだまだ治療は長引くだろうなと思います。
重度知的障害と自閉症を併せ持つ長男が我が家にいるとそれなりに心労や気疲れは多く、心から休まる日々はそうそう訪れなさそうなので、もしかしたら寛解そのものすら難しいかもしれません。
当時、
「自分のせいでいらぬ苦労ばかり掛けてしまった」
と旦那に言われたことがあります。
ちょうど旦那はネットの記事で、高齢男性の子どもは神経発達障害の発生率が高いという記事を読んで落胆していたところでした(旦那は私の15歳歳上)。それに加え、自分の父親の介護や葬儀、手続きなどのあれこれの負担が私にすべていってしまったことは(諸事情があったためどうしようもなかったとはいえ)苦しいことだったようです。だから、私の発病に対して責任を感じたのかもしれません。
どうだろう。
私も人間だから、ちょっとはそう思ったことがあります。この人と一緒にならなれけば、しなくてもよい苦労がきっとあったよ、と。うつ病だって再発しなかったかもしれないよ、と(私は10代の頃にうつ病になっており、今回は寛解した後の再発です)。
でも、旦那を責めることほど見当違いのことはありません。それに、今さら嘆いても仕方のないことです。
旦那と結婚して。
長男が生まれて。次男が生まれて。
長男の障害が分かって。
成長するにつれ、障害は重度だと知らしめられて。
義父が病に倒れ、介護の末亡くなって。
私がうつ病になって。
時間の流れも、起きてしまったことも不可逆的で、巻き戻すことはできない。
でも、時間は一方通行とはいえ、ずっと流れています。今この瞬間も。
亡くなってしまった義父の時は止まってしまったけど、私や旦那や子どもたちの時間は流れ続けていて、その時間を悔いたり恨んだりすることに使うのは有意義とは言えないかな…と、ようやく最近思えるようになりました。
長男は、1年前を思うと愛着形成がしっかりしてきました。私のことを求めてくれて、園のお迎えに行くとギュッと抱きしめてくれて、私の顔に自分の頬を擦り付けるようになりました。よく目も合います。長男の時間はゆっくりのようだけど、着実に流れています。
次男はひらがなが読めるようになってきました(オムツはまだ取れないけど…)。リビングにあいうえお表を貼っているので、家族の名前を一文字ずつ指さして読み上げてくれます。
旦那と私は、義父のことを『お空に行ったおじいちゃん』として次男に教えています。次男は義父の名前も表でなぞりながら読み上げてくれます。
「お空のおじいちゃん、どこにいるの?」
「お空から次男くんのことを見てるよ。楽しく園に通って、みんなと遊んでいるのを見てるよ」
「おじいちゃん、見てるのかぁ」
そんな会話を、次男とします。
私は死後の世界を真剣に信じてるわけじゃないけれど。でも、そう信じていればずっと家族として感じていられるのかな、ならこの考え方も悪くないよな…と思うようになりました。
今、私は決して元気とは言えないけれど、家族に恵まれたことに感謝して精いっぱい生きようと思っています。それが義父への供養と信じて。