『障害児の息子と健常児の娘を育てる母の葛藤
「つい娘ばかり可愛がってしまい…」
我に返った息子からの衝撃の一言』
というタイトルの記事を読みました。
この記事に出てくるお母さんには、軽度の知的障害をともなう自閉症の息子さん(兄)と定型発達の娘さん(妹)がいらっしゃいます。
娘さんの方がコミュニケーションも取れて表情も豊かなので、その関わりに癒やされ、ついつい可愛がってしまった…でも息子さんの一言で、障害があってうまくコミュニケーションが取れなくても愛されたい、可愛いと思われたいという気持ちがあるのだと気付かされた…そんな内容の記事です。
私が読んでまず思ったのは、
(このお母さんがそう思っちゃったのって、無理もないことなんじゃないのかな…)
ということ。
私にも重度知的障害をともなう自閉症の長男と、定型発達と思われる次男がいるので、その気持ちが分かる。まったく同じ(長男は喋れないけど)。次男の方がコミュニケーションも取れるし、表情も豊かだし、日々の成長は喜びや感動を与えてくれるから。
最近の次男はぬり絵にハマっていて、
「ぬりぬり〜」
と言いながら、クレヨンで上手にトーマスのキャラクターを塗っています🖍テーブルにはみ出すこともないし、手や服を汚すこともないし、クレヨンはちゃんとケースに戻してくれます。
「パーシーは緑だよ」
と教えると、
「みどりー」
と真似してくれる。レスポンスがある。
楽しい。
可愛い。成長が嬉しい
一方長男は、クレヨンの先をほじくって食べようとしてしまうのでお絵かきは難しいです。
前の記事でも書いたけど、クレヨンを食べるなんて可愛いもので、少しでも目を離せば自分の便も弄ったり食べてしまう子…昨日降園後にロンパースに着替えさせるのを忘れていたら、また弄便。今日は食べなくて良かった…と思ってしまう私はもう感覚が麻痺しているんだろうか
つらい。
悲しい。未来が見えない
長男のことは可愛いと思っているし、愛しているつもり。だけど、夏休み期間とか、他害や弄便が始まった頃とか、おそらく私の心に余裕がなくなると『長男が可愛く思えない』という時期に突入してしまいます。この記事にあるように、
「どうして私を苦しめるの?」
という思いが駆け巡ったこともある。この子が私を苦しめようとしているわけではないと頭では理解しているのに、心はそう思うのを止められない。
自分の子が愛せない、可愛く思えないなんて私は親失格だ、どんな子でも自分の子じゃないか、出来不出来でその子を差別するなんて…と自分を責める反面、我が子と普通にコミュニケーションを取りたいとか、せめて弄便や異食をしないでほしいと願うのって、ワガママなの?!誰だってそうなるでしょ?とも思う。
そんな葛藤におそわれる時、いつだって私は深く深く地の底まで落ちたような気持ちになります
誰も好きで障害を抱えて生まれてきたわけじゃない。誰も好きで障害児の親になったわけじゃない。
そうなってしまったからには、我が子のよりよい未来のために、そして社会に負担をかけないために最善を尽くすしかないけど。
でも、障害なんてない方がいい。
いいに決まってる。
そんな思いは、次男を見るたびに募ります。
くわえて次男に対しては、将来"きょうだい児"という重い荷を背負わせるであろう申し訳なさや、大人になったら私や長男と疎遠になってくれるくらいがいい、この子の足枷にはなりたくないと強く願う、そんな苦しい思いもあります。
長男のような重度の子の育児は、先の見えない介護。定型発達の子の育児と本質が違う。もちろん、長男は知的が重いからと存在を軽んじて対応や待遇に差をつけることなんて絶対にしないけど…でもきょうだいだからとて、いつも同じ思いで向き合えない。
綺麗事ではない、私の本音です。