この記事は、普通学級にいた軽度知的障害の子①の続きです。
小学校の同級生で、軽度知的障害をもっていたと思われるタカシくん(仮名)の話です。

小学校卒業後。
タカシくんは、私たち同級生と一緒の中学校に入学しました。やはり支援学級はこの学校にもなくて、普通学級に。

私とタカシくんはクラスが一番遠くなってしまったので、先生や友達から伝え聞いた話ですが。タカシくんは小学校以上に大変な思いをしていたようです。

問題となるのは、やはり学業面らしく。
中学校以上になると、教科ごとに専任教師がつきます。小学校みたいに、担任教師が何もかもを教えるということはありません。
だから、教師一人が受け持つ生徒数が増え、個人個人にきめ細やかな対応をすることが難しくなります。ここがわからないから教えてほしい、と個人的に申し出ることもできるけど、授業でしか会わない教師に話し掛けるのはハードルが高いと感じる生徒も少なくないのでは。

タカシくんは、自分からは
"わからない、教えて"
と言うことはほとんどなくて。
高学年になるにつれ、タカシくんの離席やいたずらは減っていたけど、静かにしているとわからなくても勝手に授業は進んでしまいます。慣れている担任の先生や同級生がフォローしてたけど、今思うと援助要請スキル(人に助けを求める能力)が低めだったかな?と感じます。

初めての定期テストのすぐあとに、タカシくんの転校が決まりました。行き先は、市内で唯一特別支援学級がある中学校。

ある日の下校時間に、玄関で靴を履き替えていると、同じく帰ろうとしているタカシくんを発見しました。走って彼を追いかける私。

「タカシくん!…久しぶり」
「あ、○○ちゃん…」
タカシくんは私を変わらずあだ名で呼んでくれたものの、困惑したような表情でした。
ここだけ見ると青春っぽいなぁなんてね。

「転校するって聞いてさ」
「あ、うん。…ボクはバカだから」
話しながらどんどん不明瞭になっていくタカシくんのことば。そこからは、悲しみとも諦めとも自嘲ともつかない感情がにじみ出ていました。
他校出身のクラスメイトや、理解の無い教師に心ないことを言われたのだろうか。…言われないわけ、ないだろうな。

そんなことないよ、と言えなくて。
私は並んで歩きながら、
「さみしくなるな…」
と月並みな台詞を述べました。一緒に帰りながら何を話したかは、もう覚えていません。

分かれ道で手を振って別れて。
それからすぐ、タカシくんは転校していきました。彼のことはもう話題にものぼらなくなりました。
中学校から高校にかけては私にとっても大変なこと続きで。いじめや人間関係、家庭でのできごとが重なり、私はうつ病になってしまってました。

定型発達でも、中学生になるとつまずく子・学校が嫌いになる子は多いと思います。思春期に入るのもあると思うけど、やはり小学校と中学校って環境が大きく変わるからストレスを強く受ける子も多いのかなと感じます。
障害がある子は、ことさら対応を丁寧にしないと二次障害を引き起こすのかもしれないかな。

そんないっぱいいっぱいの私。
タカシくんのことを思い出すこともほとんどありませんでした。

続きます。