おはようございます!はねゆきこです。
ムスコ財布なくし事件ではもう一つの気づきがありました。
人との距離・境界線(人の感情と自分の感情の別)を引く大切さ、のこと。
実はムスコの誕生日の夜は、
私の母(つまりばーちゃん)を誘っていました。
しかし、失せ物事件が勃発し、今日のBD会は延期にしてほしい、と連絡。
残念そうでしたが「わかりました」と母。
その後見つかって、\(^o^)/
みんなでご飯食べに行こう~!(何も用意できなかったので)という話になり。
急な変更でごめんねーというと、
母「いやむかむかしていたから、ちょうどよかったのよ!」
というので
私「?何か嫌なことあったの?」と聞くと
母「○○ちゃん(ムスコ)のことよ~、財布なくしたりして・・・」
「?なんでばーばがむかむかするの?」
「ほんとおっちょこちょい。一日終わっちゃったじゃない?」
自分のことではなく、人のことなのでは?
むかついているのはムスコでしょ・・・?
一日無駄にしたのもムスコでしょ・・・?
ああ、ムスコの気持ちに共感しているってことなのか・・・。
というより、
ムスコの気持ちに乗っかっちゃってるという感じがしました。
そしてそれを自分でどうしようもなく持て余してしまって。
境界線がない、とはこういうことなのかもしれない。
身近なだれかと、じぶんが一緒にまざりあって、じぶんが感じた気持ちになって。
むかむかしているのは、ムスコ自身。
むかむかの経験はムスコの体験。
私が母といるとなんだか変な感じがしていたのは
この感じだ。
泣こうと思ったら、先に泣かれた、みたいな消化不良な感じ。
母はきっと気持ちを寄せているつもりだろうけど、
当の本人は自分の気持ちを味わいきれない感じになってしまう。
これは実は私にもあるわけで。(やってきた経験があるという)
あるからわかるわけで。
どこかで境界線をこえることの本当の怖さを分かっていなかった。
今回のことで私自身がしていることの怖さを実感した。
それは「私のものではない」
共感しても、踏み越えてはならない。ということ。
課題の分離、境界線を越えない、という
私にとっての超最大級の学びでした。
実体験で腑に落ちたの巻きでした。
今日のいちまい
心地よさを共有する🥰はあーしあわせ