こんにちは、Hane由希子です。

 

先日行ってきたディズニーシーで、

久々の非日常を味わいました。

楽しかった!

でも私自身、人ごみや、大きな音、ごちゃごちゃした色・ものに

頭の中が混乱気味でした。

年齢とともに過敏になっているのか、

情報処理能力が落ちているのか、

脳内がわー!となって、混乱気味で、身体より頭が疲れた・・・。

 

でもその刺激的な世界は、楽しさもいっぱいなんだよなー

ということで、「刺激」ってことを考えてみました。

 

 

 

息子を遊園地に連れて行ったときのこと。

 

大きな音や、沢山の人々、カラフルな乗り物、笑い声や叫び声(絶叫マシンで)・・・

そんな刺激だらけで

かちんこちんに固まってしまった息子の姿。

 

 

トーマスランドでは、いつも遊んでいたトーマスが、

巨大な乗り物になって目のまえにあることに驚き。

 

初のディズニーランドでは

室内の乗り物は一切拒否。

ジェットコースターなどの早いものもダメ。

ほとんど眺めるか、食べるだったな・・・。

 

 

そんな息子が中学卒業時に、お友達とディズニーランドへ。

絶叫マシンにもチャレンジし、

「こわかったー」と帰ってきました。とっても楽しそうでした。

 

 

刺激を極力避け、守ってやりたかった私。

彼の感覚を理解したい、知りたい、と思うことで自分の感覚も敏感になってゆき。

その感覚を学校の先生や周りの人たちにも理解してもらおうと、

協力を求めそれが合理的配慮だと信じていました。

できることならなんでもやってやりたい、その一念でした。

 

でも、小学校・中学校とおおきくなるにつれ、

楽しい、やってみたい、挑戦したい、できる・・・

そんな気持ちが育ち、また友達の影響もあり、

息子は少しずつではありますが、成長したのだと思います。

 

幼い頃の姿を握りもっていたのは私の方で、

息子自身は過敏さや、刺激への不安などを超える力が備わっていた。

とうに克服していたかもしれないのに

 

それを想像できなかったのは、

同じ感覚だと信じ、自分だったら、耐えられないと思うから。

そして、この子は変わらないとどこかで思っていた。

いつまでも母と子で、守り守られる関係でいたかったのかもしれない・・・。

成長を望んでいるはずなのに

成長を阻んでいたということ。

 

 

この世界で生きていくのだ、私も、息子も。

自分の苦手を知り、

自分で避けられるようになることが最も大事。

誰かに守ってもらっていたら、「ある」ことにも気が付けず

避ける方法も見につかないから。


刺激を避けるということはすなわち克服するチャンスも奪うということなんだな・・・

先回らない、もう彼は幼いこどもではない、

 

刺激的な、ディズニーランドの一日を振り返って

そんなことを思ったのでした、

 

楽しもう!にアンテナを立てると刺激は消える、不思議。

 

 

 

こんにちは、Hane由希子です。

 

先日行ってきたディズニーシーで、

久々の非日常を味わいました。

楽しかった!

でも私自身、人ごみや、大きな音、ごちゃごちゃした色・ものに

頭の中が混乱気味でした。

年齢とともに過敏になっているのか、

情報処理能力が落ちているのか、

脳内がわー!となって、混乱気味で、身体より頭が疲れた・・・。

 

でもその刺激的な世界は、楽しさもいっぱいなんだよなー

ということで、「刺激」ってことを考えてみました。

 

 

 

息子を遊園地に連れて行ったときのこと。

 

大きな音や、沢山の人々、カラフルな乗り物、笑い声や叫び声(絶叫マシンで)・・・

そんな刺激だらけで

かちんこちんに固まってしまった息子の姿。

 

 

トーマスランドでは、いつも遊んでいたトーマスが、

巨大な乗り物になって目のまえにあることに驚き。

 

初のディズニーランドでは

室内の乗り物は一切拒否。

ジェットコースターなどの早いものもダメ。

ほとんど眺めるか、食べるだったな・・・。

 

 

そんな息子が中学卒業時に、お友達とディズニーランドへ。

絶叫マシンにもチャレンジし、

「こわかったー」と帰ってきました。とっても楽しそうでした。

 

 

刺激を極力避け、守ってやりたかった私。

彼の感覚を理解したい、知りたい、と思うことで自分の感覚も敏感になってゆき。

その感覚を学校の先生や周りの人たちにも理解してもらおうと、

協力を求めそれが合理的配慮だと信じていました。

できることならなんでもやってやりたい、その一念でした。

 

でも、小学校・中学校とおおきくなるにつれ、

楽しい、やってみたい、挑戦したい、できる・・・

そんな気持ちが育ち、また友達の影響もあり、

息子は少しずつではありますが、成長したのだと思います。

 

幼い頃の姿を握りもっていたのは私の方で、

息子自身は過敏さや、刺激への不安などを超える力が備わっていた。

とうに克服していたかもしれないのに

 

それを想像できなかったのは、

同じ感覚だと信じ、自分だったら、耐えられないと思うから。

そして、この子は変わらないとどこかで思っていた。

いつまでも母と子で、守り守られる関係でいたかったのかもしれない・・・。

成長を望んでいるはずなのに

成長を阻んでいたということ。

 

 

この世界で生きていくのだ、私も、息子も。

自分の苦手を知り、

自分で避けられるようになることが最も大事。

誰かに守ってもらっていたら、「ある」ことにも気が付けず

避ける方法も見につかないから。


刺激を避けるということはすなわち克服するチャンスも奪うということなんだな・・・

先回らない、もう彼は幼いこどもではない、

 

刺激的な、ディズニーランドの一日を振り返って

そんなことを思ったのでした、

 

楽しもう!にアンテナを立てると刺激は消える、不思議。