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昭和51年6月26日、アントニオ猪木対モハメド・アリが行われた同時刻、海の向こうのイギリスでは、クローズドサーキット方式でその中継が行われました。(現地時間は25日)
画像は、イギリス発行の当時のパンフレット(プログラム)です。
ディック・ザ・ブルーザーを中心とした、ロックバンドのLPレコードです。
全8曲入り。
独特のだみ声で歌いまくっています。
決して上手いとは言えませんけど、音程は確かです。
Dick The Bruiser Band:96 Beers/Catch A Good High (youtube.com)
昭和47年6月1日、大阪府立体育会館で、ジャイアント馬場対ジョニー・バレンタインのインターナショナル選手権が開催されました。
この約2ヶ月後、馬場さんは日プロを脱退⇒独立の記者発表をするわけですが、この時はまだ、ファンの誰一人として知りませんでしたので、この試合が日本プロレスにおける馬場さんの最後の防衛戦になるとは、夢にも思いませんでした。
試合内容は覚えていませんが、結果は2-1というスコアでした。
写真は当日のパンフレットと入場券です。
携帯電話(スマートフォン以前)が世に出てくる前までは、通信手段としてこのポケットベル(略してポケベル)が外にいる人への連絡方法として主流でした。
みなさんも、会社なりプライベートなりでお持ちになっていたのではないでしょうか。
写真のポケベルは私のプライベート用でしたが、やがて携帯電話に主役の座を明け渡しました。
国武万里「ポケベルが鳴らなくて」MV (youtube.com)
ジャイアント馬場さんが、初めて出演した映画は邦画ではなく、何とアメリカ映画なんですね。
それも、有名になってからでなく、駆け出しの時出演しているのですから驚きです。
何と言ってもあの天を衝く長身が注目され出演依頼を受けたのだろうと思います。
その時期がなんと、アメリカ修行の旅に出る前、1961年ですから、なおさら凄いですね。
撮影裏現場 | ジャイアント馬場もん (ameblo.jp)
1995年4月28日・29日に行われた、北朝鮮でのアントニオ猪木対リック・フレアー戦のパンフレットとその両日を報じた新聞です。
パンフレットは観光用に作られたもので、北朝鮮の観光地も掲載されています。
日本からはツアーも企画実施され、ブロレスファンも多数観戦と観光をされたようです。
ジャイアント馬場さんと、容姿端麗な花束嬢です。
この娘、竹内まりやさんに似ていませんか!?
この時は多分、20歳代でしょうから、今だと私とほぼ同年齢あるいは上だと思います。
竹内まりや - 人生の扉 (ライブ バージョン) 2014年 (youtube.com)
面白いアングルからの写真を手に入れたのでご覧ください。
沖識名レフェリーと思われる股座から、ジャイアント馬場さんの必殺技、股裂きを捉えた写真です。
あえてこういう構図を狙ったのかどうか分かりませんが、馬場さんも長い足を大股開きに開いてます。
やられている相手が誰なのか分かりませんが、これが、ラウル・マタなら、なおよかったのに・・・・・。