10月10日、昭和の時代は「体育の日」でした。

今は、毎年10月の第2月曜日に変更されて、毎年違う日が体育の日になり何かピンときませんね。

そんな中で昭和49年に開催された、アントニオ猪木対大木金太郎の一戦。

この年の3月猪木対ストロング小林戦が開催され、それに次ぐ日本人対決?第2弾。

結果はご存じと思いますが、当時は手に汗握る闘いであったと思います。

 

猪木対大木戦 | ジャイアント馬場もん (ameblo.jp)

 

 

 

国際プロレスのライセンス証書です。

前座からトップレスラーまでファイトマネーの金額を細かく掲載されています。

また、脱退時の違約金もそれぞれ記載され、ストロング小林が昭和49年に脱退騒ぎ?を起こした際、1000万円の違約金を請求したのも、この契約書に則ってしたのでしょうから、法外ではなかった訳ですね。

結果は新日が国際に支払ったようですね。

 

キイ・ハンター 1968 非情のライセンス 野際陽子 (youtube.com)

 

 

 

 

 

生傷男ディック・ザブルーザーの隣にいるのは、女優ジェーン・マンスフィールド嬢。

当時はあのマリリン・モンローと渡り合うほどのトップ女優でした。

ただ、この人、若くして交通事故で亡くなられました。

映画ファンの方はこの人の映画をご覧になられた方もいらっしゃるのではないですか。

 

 

 

昭和47年9月7日、大阪府立体育会館で坂口征二対アラビアの怪人ザ・シークの再戦が行われました。

再戦というのは、この前日、田園コロシアムでユナイテッドナショナル選手権戦が行われ、ここで、選手権者の坂口が挑戦者ザ・シークに敗戦。タイトルが移動しました。

シークは6日と7日のみの参加で文字通り坂口は背水の陣。

前日に続きお互い流血戦となりましたが、何とか坂口はタイトルを奪回しました。

画像はその日のパンフレットと6日・7日の入場券です。

ここで問題です。

どこか腑に落ちない箇所がありませんか?

 

 

 

7日の入場券

6日の入場券

 

 

昭和46年9月4日開催のインターナショナル選手権戦、ジャイアント馬場対ザ・シーク戦の当日入場券とポスターです。

ところがこの一戦、シークの来日がキャンセルとなり、急遽その代役にフリッツ・フォン・エリックが挑戦者となりました。

入場前売券はとっくに発売されているし、ポスターも同じく街中に貼られていますので、刷りかえも貼りかえできず、そのまま使用されたという次第です。

ただ、追加でエリックのポスターだけは作られたようです。

幻の対決 | ジャイアント馬場もん (ameblo.jp)

 

 

全日本プロレスの夏の恒例行事、読売ランド?でのファンとの交流場面です。

ちびっ子ファン、日本人レスラー、外人レスラー仲良く騎馬戦。

元気な頃のジャンボ鶴田、ロッキー羽田が楽しそうです。

 

昭和49年8月8日に行われた、カール・ゴッチ対アントニオ猪木の「実力世界一決定戦二番勝負」第2戦のポスターです。

8月1日大阪での第一戦はゴッチの勝ち、そしてこの第二戦は猪木の勝ちとなりました。

そしてその時の決め技がお互い「エビ固め」。試合時間もそれぞれ21分。

まぁ!何という偶然!!!!!

 

 

ジャイアント馬場さんが、携帯電話の広告に出演した際のテレホンカードです。

この2枚、よ~く比べてみると、あることに気が付きました。

私は6か所違いを見つけましたが、分かりますか?

 

力道山とアントニオ猪木のサイン色紙です。

どちらも『闘魂』の揮毫入り。

猪木は日プロ時代は色紙に対して真っすぐに書いていましたが、新日時代は斜めに書くようになりました。

 

 

 

販促マッチです。

猪木の「闘魂」は判るとして、馬場の「安全は世界の願い」って何なんだろう・・・・?