「本当に人生、楽しそうで。幸せそうだねぇ」って
11月は何度も言われた私のはなしを少々。

「え、私って今、幸せそうなの?!」って。驚いたんですよ。

なぜなら幸せってものをずっと探していたから。

子どもの頃から、哲学的な事を考える事が好きだった。

でもそれは他人に話すと迷惑がられることが多いし
伝えられる事がなくて。

いつしか、自分の中で封印してきた。


最初に人間とは、人生とは、と考え始めた
小学3年生の、夏休みを私は良く覚えている。
 
人にある「こころ」とは何なのか。
どうして、同じことをしても楽しめる人と楽しめない人がいるのか
どうして、同じことを話しても、伝わる人と伝わらない人がいるのか
また、本当に伝わっているのだろうか。

そんな事を考えるうちに、私が思う事や、良いと思う事は
間違えている気がしてきて。そして、
ことごとく、否定を受けるようになり、

「わたし」って何?を強く考えるようになった。

中学生になって多感な時期に入り、

みんな同じ服。みんな同じ靴。靴下まで指定されて
テストで順位をつけられて

それが世界の全てと、感じてしまった時
あぁ、もう何をしてもダメだ。何をしても苦しい。

そんな想いが充満して、起き上がる事もできなくなった。
死にたくて、でも、生きたくて。

自分を傷つけて、傷つける事でだけ、生きている実感を持てるように
どんどん、自分をイジメる事に依存していった

学校にも行かず、精神科に通い、
自殺未遂を繰りかえし
腕を切ったり、薬を大量にのんで胃洗浄をしてもらったりして。

精神科の閉鎖病棟という、
出入り口は2重に施錠されて窓には鉄格子がはめられたところに入院もした。

「私はダメなヤツだ。」と自分にも周りにもしみこませていったので、

どれだけ頑張って生きても辛くて、悲しくて
何をしても否定される。が、しみ込んでしまった。


子どもの頃から
完ぺき主義で、なんでも出来ないと気が済まなかった私は
自分で安心して失敗出来る環境を、踏みつぶしてきた。

自分の居場所を最小限まで縮めて

あれも、これも、言動を制限して

自由に楽しんでいた頃も思い出せなかった。

否定されるのが怖いから
自分で思うのとは、正反対なことをして生きるようになった。

そのうちに

どれだけ、褒められても、まったく受け取れなくなっている事に気付いた。

心は砂漠の状態だった。
褒め言葉という水を、かけられたところで、
すぐに蒸発してしまう。

私の芯までは全くとどかない。

いくら褒めても、響かない私に
ある時夫が言った。
「いい加減受け取ってくれよ」と。

ひぇーーー!!!ですよ

えぇ、今までの全部オセジってやつでしょ?
え、本気じゃないでしょ?

裏では笑ってんでしょ、どうせ!!ってひねくれて考えていた私・・・

そこでやっと
自分の心の土の状態を見る事になりました。
いや~ほんと地獄か?っていうほど、
荒れ果ててあちこちに、地割れを起こしていました。

夫や親、そして周りの人が
どれだけ耕そうとしても

「あ、結構ですー。どうせ、私、こんななんで。種なんてまいても無駄なんで」

って全力拒否!を続けていました。

なのに「どうして!私は!頑張っているのにっ!」って癇癪を起すという。

いやーはずかしっ!


自分の心の土を耕すのって

他人と会い、他人と関わる事で耕されるというのをしみじみ感じていて
たまに、痛いところ耕されたりもするんだけど(笑)

あぁ、こんなところに大きい石があったんだね~って
いうのを、他人は簡単に粉砕してくれたりするし
また、別の石を置いて行ったりもする。

人間関係ってそんな感じだなって思っていて

あぁ、この人の表現は心地よいなって思えば
それを肥料として受け取ればいい。


やっとこの表現を私の言葉として出せるようになりました。

私は私のために。

等身大でいいんだよね。うん。
 

「今日」の繰り返しで明日が続くから

今日の私を大切に生きるようになったことが

 

幸せに見えるようになった事には

大きいなぁと感じております。

 

ありがと、ありがと。